小説家の芥川龍之介が、東京・田端の自宅で服毒自殺したのは、ちょうど90年前のきょう、1927(昭和2)年7月24日の朝のことである。1892(明治25)年生まれの35歳。枕元には夫人、叔父、親交のあった画家の小穴隆一、作家の菊池寛に宛てた4通の遺書および『或旧友へ送る手記』と題した原稿が遺されていた。この手記のなかでの「僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」という謎めいた言葉を、世の人々、とくに青年・知識層は「不安な時代」の象徴として受け止めた。

芥川龍之介 ©文藝春秋

 東京帝国大学(現・東京大学)在学中の1914(大正3)年にデビューして以来、『羅生門』『鼻』など数々の名作を残した芥川は、亡くなる2年前頃より強度の神経衰弱、胃腸病、不眠症に悩まされ、睡眠薬の常用などで心身が急速に衰弱していた。そこに家族の不幸も重なったことが、厭世観を強めたとされる。

 自殺の原因としてはまた、女性関係もささやかれた。しかし親友の菊池寛は、追悼文のなかでこれを否定し、「芥川の『手記』をよめば、芥川の心境は澄み渡ってい落付き返ってい、決して生々しい原因で死んだのでないことは、頭のある人間には一読して分るだろう。芥川としては、自殺と云うことで、世人を駭(おどろか)すことさえも避けたかったのだ。病死を装いたかったのであろう」と故人の心情を慮った(『文藝春秋』1927年9月号)。

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 芥川の死は当日の夜9時、自宅近くの貸席「竹むら」で発表された。友人10人あまりが集まり、手記が読み上げられるなか、菊池寛はいたたまれず途中で席を立った。菊池が、芥川と、やはり早世した親友の直木三十五の名を記念して芥川賞と直木賞を創設したのは、この8年後、1935年のことである。

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