自由に出歩ける日が戻ったら、この人の創るものを観に行こう。本物を間近で目にして、リアルに感じたい。
そう思えるアーティストが同時代にいることは幸せだ。
たとえばそれは、今年第70回芸術選奨「美術」の部で文部科学大臣賞を享けた、イケムラレイコである。
彼女のアートと直に触れ合えるその日を楽しみに、いまは彼女の言葉に耳を傾けたい。
中世的な魂のあり方が気になっている
イケムラレイコは1970年代、若くしてスペインへ渡り、そのまま拠点を欧州に置いて創作を続けてきた。油彩、水彩、彫刻、版画、写真、詩までと手がけるジャンルはとことん広く、扱うモチーフも動物の姿や少女像、黄泉の国を描いたような風景画と多岐にわたる。
芸術選奨の選出理由では、「生命の循環、時間や死を克服して世界とつながる」ような世界観を提示していることが挙げられていた。たしかにイケムラ作品からはいつも、無意識の集合体や時代の意識、また次代の気配といった壮大な何かが漂う。
このスケールの大きさはいったいどこからくるのか。不思議に思い本人にぶつけてみると、
「それは自分がどこに立っているのか、何を見据えるかに関わってくるんじゃないでしょうか?」
という。すなわち、彼女は足元ばかり見つめているわけじゃない。自身が属する現代アートの世界で何とか作品をものにしよう、といった発想をしていないようなのだ。
「『現代アート』という括りで考えてしまうと、視野に入れる時間軸がどうしても短くなってしまいます。現代アートというジャンルの射程はせいぜい百年くらいですからね。私たちの夢とか心の奥底にあるものが、はたしてそれで十全に表現できるのかどうか。
私はもっと、少なくとも数千年単位で、創造というものを考えたい。考古学的な時間軸でものごとを見たいんです。そうやって眺め渡してみるに、私の好みは、人間の意識的な行動を尊ぶルネサンス以降よりも、それ以前の中世的な魂のあり方にあると気づきました。すべてが細かく分けられていく前の、あらゆるものが大きな流れの中に溶け合っているようなカオスな状態にもっと浸りたいし、その様子を表現したいんですよ」
そうか、イケムラ作品を前にすると訪れる、遠い世界を間近で覗き見ているような不思議な感覚。あれはイケムラ自身の独特な時間の捉え方によるものだった。