「命の選択」などと言える時はまだ平時なのだろう。非常時になれば、本人の意思よりも前面に出るのは「命の選別」である。
新型コロナウイルス感染症が拡大した際に、海外では人工呼吸器やICUベッドなどが逼迫し、年齢や基礎疾患による命の選別が行われた。一方、日本においては1台しかない人工呼吸器を誰に使用するか悩む事態には至らなかったようだが、4月のピーク時にはICUベッドやコロナ患者用の病床が足りずに争奪戦となったこともあった。そして、軽症者はホテルや自宅療養、重症者は病院という振り分けもトリアージと言える。
今後、新型コロナ流行の第2波が来る可能性も指摘されており、さらに人類を脅かす別の感染症が現れないとも限らない。その時に、命を救う医療資源をどう配分するのか。年齢か、医学的適応か、社会的有用性か、それとも本人の意思か。あるいは先着順やくじ引きで決めてまったく選別しないのか――。命の選別といっても何を基準にするかは、諸外国に比して我が国では公的な指針もなければ、コンセンサスもない。
「早い者勝ち」「くじ引き」は平等か?
多くの命を救うことと平等であることは、時として相反することもある。たとえば人工呼吸器を医療従事者に優先すると、離職を防ぐことができ、結果的に多くの人を助けられるかもしれない。これに対して、人を有用性で選別することは不平等だという意見もある。
では、まったく選別しなければ平等なのだろうか。コロナ最前線で働く東京医療センターの尾藤誠司医師は、選別しないことによる不条理もあると言う。
「まったく選別しないというなら先着順かくじ引きでしょう。けれども、早いもの勝ちはその人がどれほど医療行為を必要としているかを評価しないために、かえって不平等な結果かもしれません。くじ引きやじゃんけんは平等でしょうが、そんなもので命が決められることを社会は許容できるのでしょうか」
先着順だと病院に近い人が有利であるから不公平だと指摘する人もいる。他方、選別されるくらいなら、先着順の方が公平だと感じる障害者や高齢者の声もある。運命や偶然であれば許容できるけれども、人為的な選別は受け入れ難いという考えだ。