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松坂大輔と森友哉 選ばれし2人の人生が重なり合った瞬間

文春野球コラム Cリーグ2020

2020/06/10
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「予定通り開幕していたら、今頃、もしかしたら松坂大輔投手は○勝ぐらいしてたんじゃないのかなぁ」

 この約3ヶ月、何度そんなことを考えただろうか。「たら」「れば」が無意味なことは、重々わかっている。だが、緊急事態宣言の期間がどんどん延び、野球から遠ざかれば遠ざかるほど、想像、いや、願望に近い妄想に浸り、ポッカリ空いた時間と心の隙間を埋めている自分がいた。

 そんな虚無感に苛まれながら過ごした外出自粛期間、数少ない、テンションを上げてもらった存在が、テレビやラジオ、インターネットによる過去の名ゲームの再放送だった。中でも、松坂大輔投手関連。デビュー戦(1999年4月7日、日本ハムファイターズ対西武ライオンズ)、イチロー選手との初対戦で3連続三振を奪い、お立ち台での「自信が確信に変わった」のコメントが伝説となった試合(1999年5月16日、西武ライオンズ対オリックスブルーウェーブ)、そして、日本でのラストマッチ(2006年10月7日、プレーオフ第1ステージ・西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークス)は、お恥ずかしながら、それぞれ一試合を通して見たのは初めてだったため、個人的に非常に得るものが多かった。存分に堪能し、松坂投手が“怪物”と称されるゆえんを、改めて納得させていただいた。

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 これは持論だが、大舞台で輝ける、いわゆる「スター」と言われる人物には、持って生まれた“運”や巡り合わせが必ずあると思っている。若い頃の松坂投手、また、その周辺にはどんな逸話があったのか。当時から取材させていただきたかったなぁと思いつつ、一方で、14年ぶりにライオンズに戻っていらっしゃってからの日々を見させていただけるこれからを、本当に楽しみにしている。

これまで取材してきた中で“スター”と言えば

 そんなことを考えているうちに、「じゃあ、自分が実際に取材してきた中で“スター”と言えば誰だろう?」ということに思い至った。2011年からライオンズの球団公式発行冊子(『Lism』『Lions Magazine』など)で取材・執筆させていただいているが、中島宏之選手(現巨人)、栗山巧選手、中村剛也選手、秋山翔吾選手(シンシナティ・レッズ/MLB)、菊池雄星投手(シアトル・マリナーズ/MLB)、山川穂高選手……などなど、候補選手はたくさんいる。ただ、中でも別格だと思うのが、森友哉選手である。

 ルーキーの年、プロ第1号から3試合連続でホームランを放ち、多くの人の度肝を抜いた。2年目、オールスターゲームのファン投票で両リーグ最多得票数を獲得。2018年、2019年と、2年連続でオールスターゲームMVPに輝いた(ちなみに、2018年は松坂投手から本塁打を放っている)。さらに、2019年にはプロ野球史上4人目となる捕手としての首位打者獲得を成し遂げた。ここに挙げた、ほんの一部の記録だけでも、いかに並大抵の選手ではないかが伝わるだろう。だが、個人的に、森選手を「他の選手とは違う」と感じたのは、このエピソードがあったからである。

 憶えていらっしゃるファンの方も多いだろう。2013年12月8日、当時大阪桐蔭高校3年生だった森選手は同11月、同級生とともに、JR今宮駅でホームから誤って線路に転落した目の不自由な男性を救出したことで、JR西日本から感謝状が贈られた。そのことを、プロに入団して少ししてから、本人との会話の中で話題にしたことがあった。「素晴らしいですね」と言うと、「あんなん、誰だって目の前で人が線路に落ちてるのを見つけたら助けるやろ〜」と、当然とばかりの表情だった。もちろん、当たり前と言えば当たり前だろう。かく言う筆者も、何ができるかはともかく、救出のために尽力することは間違いない。

 だが、である。筆者はここまで何十年と生きてきた中で、そうした場面に遭遇したことはただの一度もない。同じことを伝えると、当時18歳の青年は「まぁ、そうか」と、ケラケラと笑っていた。ましてや、事が起こった約1ヶ月前に、ドラフト1位指名を受けてプロ野球界入りが決まっていたという、注目度も話題性も抜群のタイミングでの出来事だったのである。幸い、男性は軽症で済んだことも含め、「モッてる選手だなぁ」と脱帽したことを、今でもはっきりと憶えている。

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