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2020/06/06

 レッスン代を稼ぐため、ロスへレコーディングに来る日本人アーティストとスタッフたちの世話をするアルバイトも始めた。どんなに稼いでもレッスン代に消えてしまうので、あるとき一計を案じて、日本のクルーに自作の曲のデモテープを託すようになった。当初は外国人の歌のうまい友達に仮歌をうたってもらっていたが、「感じがわからないので日本人のほうがいい」と言われ、自分で歌うようにした。それも単に歌える日本人の友達が周囲にいなかったためだが、ここからいきなり日本のレコード会社から5社ほど歌手デビューのオファーが来る。カネに困っていた彼女にとっては大金ともいえるギャラは魅力で、ビクターエンタテインメントと契約を結び、前出のアルバムでデビューした。

「ヒウィッヒヒー」ツイッターの女王に

 期せずして歌手となり、ヒットを飛ばし続けた広瀬だが、休むことなく働き続けるうちに体調を崩し、2001年12月に初めてコンサートツアーを開催したのを機にいったん活動を休止する。丸2年間の休止期間中、歌はやめてもいいなと思いつつロスに戻ってピアノや作曲の勉強をするうち、《どんなかたちであれ、音楽をやっていられれば、自分は幸せなんじゃないか》とふと思った。それと同時に《歌もその一つだよな》と気づき、そうしたらまた気持ちよく歌える気がしたという(※4)。

 こうして2004年、アルバム『LOVEBIRD』をリリースし、音楽活動を再開する。2009年にはTwitterを始めた。その直後、“Twitterの源氏名を「ヒウィッヒヒー」に決定した”(Twitterのロゴの「t」が「ヒ」に見えることからの命名)という投稿が話題となり、「ツイッターの女王」とも呼ばれるようになる。その前年には、音楽により毎日の生活をちょっと明るく切り替えられるアイデアを提供したいと思い、「ブログで音楽の先生をやる」というコンセプトのもとブログを始めたばかりだった。だが、友人で評論家の勝間和代から「これからはTwitterよ」と勧められ、Twitterを始めたという(※4)。

Twitterをすすめられた勝間和代と共著を出版 ©文藝春秋

 勝間とはTwitterでのやりとりが人気を集め、2人は日本でTwitterが周知されるのに大きく貢献する。勝間との共著に収録された対談で広瀬は、Twitterからの恩恵として、《これまでは、CDが何十万枚売れたと言われても、実感がなかったんです。(中略)でもツイッターを始めたら、こんなにもたくさんの人が、和代ちゃんと私の会話を楽しみにしてくれてるんだってわかるし、いろいろ話しかけてくれたりもするじゃないですか。そうやって、つながっている感じを実感できることが本当に励みになるし、自信につながっています》と語っている(※5)。

 いまにして振り返ると、当時のTwitterには牧歌的な雰囲気があった。だが、それから10年あまりが経ったいま、著名人への誹謗中傷が問題になるなど、普及したがゆえにユーザー同士が衝突したり傷つけ合ったりするケースも目立つ。そのなかにあって、広瀬はいまでもTwitterとうまくつきあい続けているようだ。