広瀬は5歳でピアノを始めた。先生に音感が素晴らしいと褒められ、有頂天になった両親は彼女に作曲まで習わせ始める。それからというもの、練習をしてからでないと遊びにも行けない日々を送った。このため彼女はすっかり練習が嫌いになってしまったという。中学・高校は福岡女学院の音楽コースに通うが、そこでもサボらないよう教師がずっと見張るなか、練習しなければならなかった。高校卒業後、東京の国立音楽大学に進むも、いやいや学んできたのが結果に出たのか、1年の前期試験では作曲学科の学生14人中最下位の成績だった。教授からも「これでは作曲家にはなれない。別の方向を考えたほうがいい」とまで忠告され、半ばふて腐れる。その夏休み、《ぐれてやろうと思い立ち》(※1)、ロサンゼルスに留学していた友達のところへ遊びに行った。このとき初めてマイケル・ジャクソンやマドンナといったポップスターたちの存在を教えられ、コンサートを観に行く。そこで観客が手を叩いたり、叫びながら音楽を聴く光景は、クラシックしか聞かされてこなかった彼女には衝撃だった。その自由な雰囲気に、初めて音楽への情熱が沸き起こったという。
人生を変えた“あの大物シンガー”
このあと観に行ったナタリー・コールのコンサートでは、その歌声に聴き惚れながら、ふと、《どうせなら、こういう素晴らしいアーティストに私の曲を歌ってもらいたいな》《私はポピュラー音楽の作曲家になりたいな》と思った。ちょうどそのとき、ナタリーが「You can do it」と歌いながら広瀬のほうを見て目と目が合ったという。この瞬間から、彼女がプロの作曲家になるための日々がスタートし
おカネに困って自分で歌ったら「5社から歌手オファー」
帰国するなり両親に、大学をやめてアメリカで音楽をつくりたいと頼み込むが、卒業だけはしてほしいと思いとどまらされる。結局、両親の希望を汲み、大学に通いながら年の3分の1はロサンゼルスに滞在し、英語を学ぶなどしてすごした。大学を卒業すると本格的に渡米し、有名歌手も通うボイストレーニングのスクールで学ぶ。作曲家志望にもかかわらずボイストレーニングを受けたのは、先生と仲良くなれば、楽曲を提供する歌手を紹介してもらえるんじゃないかと思ったからだとか(※4)。