6月19日、DeNAとの開幕戦。カープの先発メンバーには「7番ファースト・堂林翔太」の名があった。堂林が開幕スタメンに名を連ねるのは、2014年以来6年ぶりのことである。その6年の間に堂林は28歳になり、3児の父となっていた。それでもいまだ、堂林はこう呼ばれる。「鯉のプリンス」と。
各球団に存在する「プリンス」と呼ばれる選手たち
そもそも「プリンス」という呼称自体は堂林の専売特許ではない。古くは「慶応のプリンス」山下大輔(元大洋)が有名だが、その後も「竜のプリンス」立浪和義(元中日)、「尾張のプリンス」堂上直倫(中日)、「燕のプリンス」川端慎吾(ヤクルト)等々、各球団に「プリンス」と呼ばれる選手は多数存在する。西武に「プリンス」と呼ばれる選手が少ないのは、石毛宏典らプリンスホテル出身の選手が多いため混乱するからではないかと睨んでいるが、それは憶測の域を出ない。
「王子」も「プリンス」と同義と捉えれば、「ハンカチ王子」斎藤佑樹(日本ハム)、「泣き虫王子」由規(楽天)などの「王子」もいる。カープに「王子」と呼ばれる選手がいないのは、西川龍馬や船越涼太(元カープ)ら王子野球部出身の選手が多いこととは、恐らく全く関係ないだろう。
彼ら「プリンス」「王子」と称される選手の共通点としては、どことなく品のあるたたずまいである、ということだろうか。私の個人的な判断基準としては、「プリンスとは、白タイツとかぼちゃパンツが似合う人のことである」と考えており、この点で堂林は「プリンス」の条件を備えているようにも思う。
「尾張のプリンス」から「鯉のプリンス」へ
堂林が「プリンス」と呼ばれ始めたのは、高3の夏、愛知・中京大中京のエース兼4番打者として甲子園で優勝した頃からだった。決勝戦を最後まで投げ切ることができず、優勝インタビューで涙を流しながら語った堂林の姿は多くのファンの印象に残り、上記の堂上と同様に「尾張のプリンス」と呼ばれるようになった。堂林の父・幸夫さんはトヨタ勤務だそうだが(『カープヒーローズ プライベートBOOK』日刊スポーツ出版社・2014)、息子が「プリンス」と呼ばれることに複雑な気持ちにならなかっただろうか。
その後、2009年のドラフトで内野手としてカープに2位指名され、「尾張のプリンス」は「鯉のプリンス」となった。18歳の堂林には多くのファンが付き、誰もが近い将来の主力選手となることを疑わず、誰もが疑いもなく「プリンス」と呼んだ。