文春オンライン

自動車業界のオワコン化に見る「魅力あるモノづくり」という宗教の終焉

何を価値として提供し、どう収益を上げていくのか

2020/07/23
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「いや、スマホで間に合ってるので」で終わってしまいかねません

 自動運転車とMaaSとの関係の果てにひねり出したのがスマートシティで、静岡にて「ウーヴンシティ」を作る構想をトヨタが発表したり、宇都宮でのスマートシティ構想にホンダが参画したりしていますけれども、「地に足がついている」という堅実さ以上に何かすごいビジョンがそこにあるのだという感じがこれっぽっちもしません。AIだロボットだと言いながら、ああどうせOSはGoogle様に握られるんだろうなあとか、スマートシティで生活してみたらセキュリティホール突かれて中国に個人情報をごっそり抜かれるんだろうなあという残念な予想ばかりが先に立ちます。

 ネットでもトヨタ総帥の豊田章男さんが熱心にエコカーや未来の車について熱弁を振るっておられますが、でもたぶんこの人は燃費の悪い車を爆音響かせながら転がしていくのが好きそうに見えるという点で「もっと本音で喋ってくれていいのに」と毎度思います。いい人なんだろうなあ、と。立場上、演じないといけないんだろうなあ、と。

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 それもこれも、いわば「先進的なハードが導く未来」という自動車業界特有の閉塞した臭みが漂い、もはや自動車で移動することそのものはサブの価値に過ぎなくなって、そこでいかに快適に暮らすかはもっと別のサービスがもたらす快適さが大事になっていることに気づいてないのだろうか、と思うのです。いわば、自動車屋は自動車屋なのであって、そこに個人に関するデータやインターネットからもたらされる情報を組み合わせる場として自動車を使うよと言われても、別にそこに集約する必要もない私たちからすれば「いや、スマホで間に合ってるので」で終わってしまいかねません。

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 思い返せば、昔パナソニックが白物家電のネット化を果たすとかいう「スマート家電」でセンシングされた冷蔵庫に何かを買う必要が出たらお薦めを表示する機能をつけていたり、ソニーがすべての家電がネットで繋がるとかいう「それを実際何に使うのか」という詰め切らないコンセプトで商品化しているのを見て総萎えになった時期がありました。もちろん、いまではそんな製品は綺麗さっぱり見なくなり、綾瀬はるかが一生懸命宣伝しているのを眺めるぐらいです。すでに機能的に完成されている家電を「スマート化」しても、どう考えても使われない機能が満載になるのと同様に、社会的に必要なすべての機能を車載したりポータブルにしていくといってもそんなものは他にいくらでも餅屋はいるのです。

車を保有すること自体に価値を感じている人たちはそう多くない

 人生のステージに合わせて車を買い替えたり、車が必須な地方での生活で快適なカーライフを提案するというところまでは「車が主人公」だからみんな買うけれども、車を保有すること自体に価値を感じている人たちはそう多くないからこそ、新たな時代や未来を示してもらわないといかんのです。

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 生活には必要だけど、最重要でもないから、コロナが経済を直撃すると真っ先に「車の買い替えは控えよう」と絞る対象になり、スマートシティが実現するのはそりゃまあ素晴らしいことだろうとは思うけど、「それで得られる生活上の素晴らしさ、快適さ」と「それを実現するために必要なコストや、使いこなすために学ばなければならないことの多さ」とを見比べていかなければならない。いままでの自動車業界が、これからも自動車業界として存続していくために、無理にいろんな機能を車中心に付け加え、それに合わせてスマートシティをやるんですよという本末転倒にならないよういろいろ考え直さないといけないんじゃないか、と思います。