江戸人なら新型コロナをどう名付ける?
数度にわたって襲いかかってくる新型コロナのような感染症(「流行性感冒」)は、江戸時代にも度々流行したが、「〇〇風邪」という、その名称のつけられ方にも、磯田氏は注目する。
〈興味深いことに、江戸期は「その年の流行歌や流行語」が、しばしば病名になっています。
「予思ふにはやり歌、はやり詞(ことば)の流行せる年は必ず感冒流行す、安永のお世話風、文化のたんほう風など、当時のはやり詞、はやり歌を苗字にして唱へたり」(「兎園小説余禄」)
「お世話風」という名称は、「大きにお世話、お茶でも上がれ」(「余計なお世話だ」の意)という安永期の流行語に由来し、「だんほう風」というのは、おそらく「文政期」が正しく、「だんほうさん、だんほうさん」という当時流行った小唄から来ています。
歌も、言葉も、風邪も、まさに「流行る」。その年に流行った歌や言葉が流行り風邪の名称になっています。どれも口から口へとあっという間に拡がっていったイメージなのでしょう。江戸人なら、五輪が予定された今年の新型コロナを、米津玄師さんのヒット曲にちなんで「パプリカ風邪」などとつけかねません〉
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そのほか、流行り風邪の際に、(今日のマスクのように)果物など特定の物資が高騰したこと、(今日の観光業や飲食店のように)当時も旅籠屋や茶屋が営業自粛や時短営業を余儀なくされたことなどに触れつつ、江戸時代の感染症流行の歴史を振り返った磯田道史氏の「1820年のパンデミック」の全文は、「文藝春秋」8月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。
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1820年のパンデミック