昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

『野ブタ。』人気俳優と腕組みシーンでクラス全員から無視…元SDN48の私が抱える生きづらさの原点

大木亜希子さんインタビュー #1

2020/08/10

〈深呼吸、深呼吸。精神集中。今日もいける。私は可愛い。これで決して、自分が「六畳一間のボロ屋敷」からやってきた住人であることは、世間様にはバレないはずである。今日も色々とキメていこう。仕事とか恋愛とか、人生とか、色々。〉

 このあと、28歳の亜希子は突然、通勤途中の駅のホームから動けなくなる。一時的なパニック症状と診断を受けて精神科に通うも、その後は通勤もままならなくなり、退職。会社員としての食い扶持は途絶え、資産は手元にある10万円のみとなった。

人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)の著者で、かつてSDN48として紅白出場経験もある大木亜希子さんの実話である。

大木亜希子さん

 この後、大木さんは職なし金なし彼氏なしの「詰んだ」状況からわずか1年半で2冊の本を刊行。『小説現代』(2020年8月号)に書き下ろし小説を発表し、文筆家としての道を歩いている。この驚異的な回復の裏には、書籍名にもある58歳のおっさん「ササポン」との同居生活が大きく影響しているという。

 15歳で芸能界に飛び込んで女優になり、20歳でアイドルデビュー、25歳で会社員、30歳で小説を書いた彼女が獲得してきたキャリアと、アラサー女性が抱える「生きづらさ」の正体について聞いた。(全2回の1回目/#2へ続く)

◆ ◆ ◆

芸能界を選んだ理由は「私そこそこかわいいからいけるんじゃね?」

 そもそも大木さんが芸能界に入ったのは、歯科医院を営む実父が亡くなったことからだった。裕福な家庭を支える大黒柱が失われたことから、4姉妹の末っ子の大木さんも働くことを決意する。中学3年生のときに固定給の入る芸能事務所に入り、15歳で山下智久や亀梨和也といった錚々たるキャストと共にドラマ『野ブタ。をプロデュース』(NTV)に出演する大チャンスを掴む。

『野ブタ。をプロデュース』(公式サイトより)

「芸能界を選んだのは、お恥ずかしながら『私そこそこかわいいからいけるんじゃね?』くらいの理由でした。最初の頃は朝ドラのオーディションにも受からなきゃだし、民放の連ドラで3番手までに入りたいしで、ギラついた野生動物みたいになっていました。自分がこの場所でどうやって活躍してステップアップしていくかばかりを考えていて、人生に下り坂や一時停止があるなんて想像もしていなかったです。

 

 でも『野ブタ。をプロデュース』で人気俳優と私で腕を組むシーンが放送されたことが原因で、放送の翌日にクラスメートのほぼ全員から嫉妬されてしまい無視されました。生きづらさのはじまりを考えると、このときからスタートしていたような気がします」