「このレコードを見た時は大ウケでしたよ。“親父なにカッコつけてんの?”って(笑)」
そう話すのは加藤眞一さん。あの加藤博一さんの次男である。レコードは博一さんが現役時代にリリースした『二人だけのパーティ』。眞一さんはこの夏、ネットで偶然パンチパーマ姿の父親がグラスを手に女性を見つめる色男なジャケットを発見する。何せこれが発売された1986年、眞一さんはまだ1歳。その後家に飾られていた訳でもなく、30代になり存在を知ったのだ。そりゃあ爆笑ものだろう。
同じ頃、筆者は中古盤屋でそのレコードを手にしていた。『行くぞ大洋』のレコードにはまれに遭遇しても、リリース数の少ないであろう『二人だけのパーティ』にはお目にかかった事がない。それが300円で売られている。
加藤博一さんの写真を見ると頭に浮かぶは80年代の横浜スタジアム一塁側内野席。外野寄りは自由席で、友の会招待券で入場したチビッ子の特等席だ。試合前、ネットにへばりつき練習を眺めていると目の前には【KATOH 44】。いつもの応援のノリで「ヒロカズー」と声をかけると「コラ、ヒロカズじゃなくてヒロカズさんやろ! もう一回言ってみい」と諫められる。オドオドしつつ言い直すと「よし! 今日も応援頼むぞ!」とニカッと笑ってくれた。オフになれば『珍プレー好プレー大賞』で現役選手なのに審査員席に座り、島田紳助、板東英二と笑いをとる。ヒロカズ、いやヒロカズさんは近所のおっちゃんのようなスターだった。
そんなことを思い出しつつやっと見つけたレコードをインスタグラムにアップしたら、それを見た友人が親交の深い眞一さんに知らせてくれた。その縁で話を伺えることになったのである。
強く印象に残っている野球人・加藤博一の姿
「親父が引退した時、僕は5歳でした。だから現役時代はほとんど知らなくて、記憶にあるのはたまにスタジアムの選手食堂でジュースを飲んでいたことと、引退試合が雨だったことぐらい。覚えているのはその後のことなんです」
博一さんは90年限りで21年間の選手生活にピリオドを打つと、
「よく“野球選手がテレビで笑いをとったのは俺が女装してピンクレディーを歌ったのが最初や”って豪語していて、芸能人の友達も多い。だから色んな番組に出演してました。『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングから声がかかった時は“そろそろ奈美悦子から生電話が来るから静かにしてるんだぞ”とか言われるし(笑)。あと親父がSMAPのメンバーに野球を指導する企画があって、同級生からのサイン貰ってきてくれ攻勢が半端なかったですね」
家での博一パパは、眞一さんと3つ上の兄に野球を教えるようになる。
「親父はとにかく厳しかった。外で気配りするタイプなので、家では威厳を保ちたかったんでしょうね。ご飯はとにかく量を食えと口うるさく、食事中肘をついたらすかさずビンタ。でも僕にとって野球は遊びの延長でしかなくて、親父もそこは察してくれた。中学ではバスケをやりたいと言っても反対されませんでした」
それでも野球人・加藤博一の姿は強く印象に残っている。
「球界では宴会部長でしたけど実は酒が弱く、現役時代も晩年に代打専門になってからは断酒していたらしいんです。理由を聞いたら“いつ出番が来るかわからんのに、酒が残っていたら1打席で結果を残せないやろ?”って。引退後も家にいる日は野球中継を観て色々分析している。僕らは『ドラゴンボール』を観たいのに(笑)。でもある時一緒に中継を観ていたら、ピッチャーが次に投げる球種を全部言い当てるんです。そこは素直に感心しました。チャラついてそうで影ではちゃんと勉強していましたよ」
解説者としてのモットーは選手の悪口を言わないことと、偉そうにしないこと。だから自然と年の離れた後輩に慕われた。池山隆寛、清原和博、佐々木主浩、緒方孝市、松井稼頭央、岩村明憲。佐々木がマリナーズにいた頃は、頻繁に自費でシアトルを訪れて取材していたという。
「何にでも凝り性で負けず嫌い。渡辺徹さんが司会の『64マリオスタジアム』に出演した時は収録前にゲームをやり込み、本番で他の出演者を圧倒してました。あと、僕がまだ野球をやっている頃、兄貴と一緒にバッティングセンターで500球くらい打たされるんです。途中でふと見ると、いつの間にか後ろにいた親父がいない。あれ?と探したら、他の子をずっと教えている。誰に対しても分け隔てなく接するのは本当にいいところでした」
博一さんの研究熱心さはファン目線でも窺い知れたし、加えて教え上手。引退後ついに指導者にならなかったのがずっと不思議だったのだが、実は密かにオファーがあったという。2004年、楽天が球界に新規参入した時のことだ。
「当初楽天は掛布雅之さんに監督就任を要請していて、掛布さんと親父が阪神時代から仲が良かった関係で、就任したら親父にコーチになってほしいと内々に打診があったそうです。結局幻に終わりましたが、本人も一度は、