寛斎にはまた、ロンドンでのショーを成功させる以前、デザイナーになろうと服を縫う針子をしながら修業を重ねた経験もあった。派手なステージも、ファッションの枠を超えた幅広い活動も、そうやって培った技術あってこそともいえる。そんな寛斎からすれば、伊勢谷のやっていることはどこか中途半端で、危なっかしく見えたのかもしれない。先の“忠告”も、30歳にして苦い挫折を味わった自分と伊勢谷が重なったがゆえに出たものではなかったか。
モットーは「挫折禁止」...いかにして這い上がるか
伊勢谷としても、寛斎の生き方は常にお手本であった。20代半ばのころには、寛斎のファッションショーの準備を追ったビデオを繰り返し見ていた。ここから《何があっても突き進む実行力を見て『あきらめない』という言葉が浮かんだ。僕の座右の銘『挫折禁止』と、なんかつながったんですよね》と、寛斎を師匠とあおぐようになる(※7)。その寛斎が今年2月に急性骨髄性白血病であることを公表し、療養に入った。伊勢谷は病床の寛斎を見舞ったとき、《俺の生き方、どうだ?》と訊かれ、《すごいです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたことも》と返したという。これに寛斎は満足げにうなずいたとか(※8)。
伊勢谷が逮捕されたのは、そんな兄にして師が亡くなってまもなくのできごとであった。社会的に失墜したいま、彼のなかでは、寛斎から教えられたあれこれが去来しているのではないだろうか。「挫折禁止」をモットーに掲げる彼は、かつて《あきらめることは誰でもできることですから、あきらめることをやめました》と語っていたことがある(※3)。だとすれば、ここであきらめるわけにはいかないはずだ。寛斎がかつて手痛い挫折から見事に復活を遂げたように、いかにして自分を省み、どん底から這い上がるか。伊勢谷友介という人物の真価は、そのあり方によって決まることは間違いない。
※1 「NEWSポストセブン」2012年10月7日配信
※2 『財界』2014年1月7日号
※3 『経済界』2015年3月24日号
※4 『日経ビジネス アソシエ』2015年12月号
※5 やまもと寛斎『寛斎 鉄丸 全行動 〈未来へ向けて〉』(筑摩書房、1987年)
※6 山本寛斎『死にゃしない! OK!!』(日本実業出版社、2004年)
※7 『AERA』2017年7月10日号
※8 「スポーツ報知」2020年7月28日配信