2年間はずっと部屋に引きこもっていた
高知さんもすぐに田中さんや自助グループと繋がれたわけではなく、周りに助けを求められるようになったのは保釈されてから2年も経ったあとのことだった。それまでの2年間はひたすら部屋にこもり、息を潜めるように暮らしていたと話す。
「“執行猶予”というのは罪を反省する時間であると共に、再び社会で役に立つためのチャンスを貰っている状態なんですが、当時は“チャンス”という認識が自分にも、周りの友人たちにもまったくありませんでした。だから保釈後はすぐに友だちが用意してくれた隠れ家のようなアパートでひたすら自粛せねば、謹慎せねばと、ずっと部屋に引きこもっていたんです。
執行猶予があけるまで365日×4年……と、毎日カレンダーを見る。そのときは朝夜なんて関係なく、とにかくこの一日が早く終わってくれと祈っていました。
友人たちが交代で僕の用事を済ませてくれたりご飯を届けに来てくれたりして、最初の方は本当に感謝していたんです。でもそのうち、彼らのありがたいタイミングと自分が来て欲しいタイミングのズレが気になり出してきて、感謝の気持ちは苦しさに変わり、最後は、本当にダメだと自分に言い聞かせたけど、怒りに変わっていました。
当然彼らはまったく悪くない。それもわかっているからこそ、薬物で捕まっても自分を助けてくれるような大切な友人を失う恐怖から、彼らに対して『ありがとう』の偽善者になるしかありませんでした。
本当はこの日に寂しくて来てほしかったんだ、この夜中に孤独が怖かったんだと辛さを打ち明けることができず、ひたすら自粛して自分を罰することしかできなかったんです」
そもそも依存症は、WHO(世界保健機関)も認める脳の病気だ。それ故、自分の意思や根性論では決して克服できないのだが、依存しているクスリやアルコール、ギャンブルなどを除けば社会生活を普通に送れてしまう人も多いため、「自分は病気じゃない!」と否認する人も多いという。
清原和博さんやピエール瀧さんといった著名人の薬物依存症のサポートに当たっている国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師が高知さんの主治医になったが、高知さんも最初の3、4ヶ月は、松本医師との押し問答が続いた。