いまから50年前のきょう、1967(昭和42)年9月12日、大江健三郎の長編小説『万延元年のフットボール』が講談社より刊行された。これは文芸誌『群像』で同年1月号から7月号まで連載後、大幅に加筆修正のうえ単行本化したもの。刊行直後の9月18日には、安部公房の戯曲『友達』とともに第3回谷崎潤一郎賞に選ばれた。32歳での受賞は、現在にいたるまで谷崎賞の最年少記録である。

©文藝春秋

『万延元年のフットボール』には、大江の60年安保闘争の体験が反映されていた。彼によれば、このとき、自らデモに参加する一方で、このできごとを小説に書こうとして苦しむ自分がいたという。ここから生まれたのが、実際に行動に出て傷つく人物と、考えているだけで行動はしないが、やはり傷を負っている人物の二人組――蜜三郎(みつさぶろう)と鷹四(たかし)の兄弟だった(大江健三郎『大江健三郎 作家自身を語る』、聞き手・構成:尾崎真理子、新潮文庫)。作中、故郷である四国の谷間の村へと帰った蜜三郎と鷹四は、曽祖父の兄弟のかかわった万延元(1860)年の百姓一揆の伝承に触れ、それぞれ別様な想像力を膨らませながら対立することになる。

 大江健三郎は60年代、若い世代から熱烈な支持を集め、その作品は純文学作家としては異例に売れていた。『万延元年のフットボール』の発行部数は約15万部に達したという。文学史的にも、中上健次の『枯木灘』や村上春樹の『1973年のピンボール』など同作から影響を受けたとされる作品は多い。また、同作に出てくる兄弟と蔵というモチーフは、最近のライトノベルの作品でも、周知の古典的エピソードとして援用されているとの指摘もある(『大江健三郎 作家自身を語る』)。

ADVERTISEMENT

 余談ながら、『万延元年のフットボール』から20年後、大江は同作のテーマを引き継いだ精神的自伝ともいうべき『懐かしい年への手紙』を著した。その発売からまもないある日、書店をのぞいた彼は、赤と緑のクリスマス・プレゼントみたいな装丁の本が山積みとなり、自分の本はその奥にひっそりと置かれている光景を目にする。店頭に積まれていたのは、村上春樹の『ノルウェイの森』上下巻であった。大ベストセラーとなったこの小説の発売は1987年9月で、いまから30年前のこと。大江は後年、「私の作家生活に次の世代の脅威の影が差す最初の、決定的な危機となった年が、この年であった、ということです」と冗談めかして語っている(大江健三郎『読む人間』集英社文庫)。

大学生だった1958年には、「飼育」により最年少(当時)で芥川賞を受賞 ©文藝春秋