「あの世」といっても死者の国なんかではない、こことは何かがちょっとだけ違う別の場所。絵画や彫刻によって、そんな不思議な世界にいざなってくれる展示が、東京六本木のギャラリー、シュウゴアーツで始まっている。イケムラレイコ「あの世のはてに」。
作品は「つくる」のではなく「産む」もの
床、壁、天井とも白色で統一された空間に入ると、巨大なペインティング作品が目に飛び込んでくる。水色や紫色、明るめの色も用いられているのだけど、どこかの荒涼とした土地を感じさせるイメージ。ぽつりと人影が見えて、謎めいた生物もいる。話に聞く「黄泉の国」とは、こんな雰囲気ではなかったか。
隣の壁面にも、似た色合いの絵画が並んでいて、同時期に描かれた同じシリーズだろうと察せられる。広い土地の彼方にこんもりとした山があって、その表面にはどうやら目鼻がついているように見える。
魅惑的な世界が提示されているのはまちがいないのだけれど、色か形かモチーフか、いったいどこに惹かれるのか、名指せないのがどうにももどかしい。
そんなときは、作者に直接聞こう。イケムラレイコはスイスやドイツを拠点に活動を続けてきたが、展のオープンに合わせて在廊していた。
これはいったい何を、どんな思いのもとで描いた作品なのだろうか。
「展名につけたように、あの世、ではありますね。ただし、死後の国といった意味合いではなく。いまこうして目にしている世界とは違う、もうひとつの世、ある心象風景でしょうか。じつは私にも、それくらいまでのことしかわからないんですよ。
私は作品を『つくる』と言わず、『産む』と表現します。つくるよりも産む行為のほうが、より力強く、同時に弱さも含み、また個人の営みを超えた他者の力を必要とします。創作とは私にとってそういうもの。だから、産み出されるものが何なのか、どんなものになるのか、私自身にもはっきりとは見えていない。
それをことばによって言い表すのは、なおさら難しい。私は造形芸術をしているのだから、言葉になる以前のものをそこで捉えたいといつもおもっている。どういうものを描いたのか、ことばで説明しようとしても、なかなかうまくいかないのです」
「東日本大震災に、あの時の激動を忘れられない」
何が描いてあるのか、すぐに説明できる絵は目指していないというのだ。とはいえ、この不思議な光景が産まれてきたきっかけと経緯はある。
「もう40年近く作品をつくっていますが、いつも昆虫が脱皮するみたいに、生活をしていくなかで変化があって、それにつれて作品も変わっていきました。
1990年代、私は少女の像をさかんに描いたり、彫刻にしたりしていました。当時の私の生活観や社会の状況からして、自分なりの少女像を打ち出すことがとても大事におもえたんです。個や孤、性などの目覚めが重なる少女の時代は、誰にとっても大きな存在です。
その問題意識はいまも続いているんですが、10年ほど前にペインティングを描いていて、少女のいる絵から少女を不在にしてみたらどうなるかが気になりはじめた。何かが出現し、消滅していく空間そのものが興味深く感じられたんですね。
そうこうしていると、2011年になって東日本大震災が起こりました。どうにもならない自然の荒々しさと核エネルギーに基する災いに直面して、今でも私は切羽詰まったような気持ちと、ある責任を感じています。
それだからこそ、私の創作は続きました。 今この展示で観ていただいている作品たちもそういった関連の中で産まれてきたのです」
展示は新作ペインティングに留まらず、少女像の絵画や彫像、鳥か天使かはたまた悪い存在なのか判然としない彫刻……。自在な想像力の発露がそのまま形を成したような作品の数々が並ぶ。
ことばはギャラリーの入口にでもすこし置かせてもらうとして、純粋な視覚体験として、不思議な世界に溺れてみたい。
写真=伊澤絵里奈