いまから20年前のきょう、1997(平成9)年9月22日、日本共産党の第21回党大会が静岡県熱海市で開幕した。共産党はこの大会で「21世紀の早い時期」の民主連合政府の樹立をめざす目標を掲げていた。当時の同党委員長・不破哲三(当時67歳)は、大会初日の中央委員会報告のなかで、連立相手として、将来的には社会民主主義を標榜する政党にとどまらず、保守政党との連携も視野に幅広い勢力の結集をめざす考えを表明する。不破が報告を終えると、会場からは20秒におよぶ大きな拍手が起こった。

 共産党は1973年の党大会でも「民主連合政府綱領」を採択していた。だが、このときの大会は、保守政党との連携にも言及した点で画期的であった。現実路線への転換ともいえる。もっとも、不破は「現在、共同できる政党は存在しないが、民主的党派が生まれる可能性は十分ある」とも述べ、現在の自民党などとの連立を想定しているわけではないことを強調した(『朝日新聞』1997年9月22日付)。

第21回党大会で中央委員会報告をする不破哲三 ©共同通信社

 第21回共産党大会はまた、戦前・戦後を通して党を率いてきた宮本顕治議長(当時88歳)の引退も決まり、歴史的な節目となった。大会はこのあと9月26日、先述の目標を含む大会決議と中央委員会報告などを全会一致で採択して閉幕する。同時に宮本が退いた議長は空席にし、不破委員長が党首として共産党を率いていくことが正式に決まった。

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 共産党はこの翌年、1998年の参院選において比例区で800万票超を獲得する大躍進となる。その理由としては、不破委員長の柔和な笑顔が、有権者のなかにある“共産党嫌い”を和らげたとも説明された。ここから不破を指す「スマイリング・コミュニスト」なる言葉も生まれ、この年の新語・流行語大賞の特別賞に選ばれている。

共産党の現委員長・志位和夫 ©杉山拓也/文藝春秋