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「面接した女のコは6000人、うち800人は…」筆者も驚いた“郡山の風俗王”が生み出した革新的サービスとは?――2020 BEST5

ベストセラー『売春島』著者が徹底取材

2021/01/10
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デリヘルはあっという間に10店舗、20店舗に

 逮捕で風営法の本音と建前を理解した伊藤は、さらに自信を深め、知人から寂れたスナックのテコ入れを頼まれ「ピンサロ」に鞍替えし大繁盛させたことを皮切りにキャバクラ、水着パブ、メイドパブ、デリヘルなどを次々に立ち上げる。

 なかでもデリヘルは大成功を収めた。

 時は新風営法が施行された直後のデリヘル元年(1999年)。郡山で初だった物珍しさも手伝い、10年後には30店舗まで膨れ上がったのだ。

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伊藤氏が多くの店舗を経営していた頃の風俗店を紹介する雑誌(著者撮影)

「韓国エステ時代にステ看を出したけど警察から条例違反を指摘され取り下げたことがありました。なら正式な看板ならいいかと思い、街の『タクシー乗務員募集』の横にデリヘルの看板を出したんです。すると面白いように客が来た。

 看板を1本出すと、日に10本の電話が鳴る。3本出せば、毎日30本。もうウハウハでした。でも、それも長くは続きませんでした。しばらくして警察から風営法違反をタテに看板を降ろすよう指摘されたんです。仕方がないからゲリラ的に電柱にピンクチラシを貼る、いわゆる電貼りに切り替えたら、それもダメだと言われた」

 八方塞がりだった伊藤は、インターネットの風俗情報サイトに広告を出すのと同時に、自らも風俗店のポータルサイトを作ることを思いつく。取り急ぎ自身が経営するデリヘル・キャバクラ・ピンサロ・メイドパブなどを集めてサイトで告知した。まだ「爆サイ」(日本最大級のローカルコミュニティ掲示板)が無かった時代だ。いかに先見の明があったかが窺い知れよう。

自身の手掛けていた雑誌を手にインタビューに答える伊藤守氏(著者撮影)

「デリヘルはあっという間に10店舗、20店舗になりました。多いときは年に5店舗のペースでバタバタバタって出店しましたから。最盛期は30店舗になってましたね。もちろん全て郡山です」

筆者も驚いた革新的レンタルルームの中身

 3年後の2002年、次に伊藤は、街中で合法的にデリヘルの告知をするために風俗案内所を、デリヘル嬢を呼ぶホテル需要を見込んでレンタルルームを、それぞれ同時期に郡山で初めて仕掛ける。特に部屋がイメクラ(イメージクラブ)風に設えられたレンタルルームは爆発的にヒットし、その存在は郡山を超えて全国の好事家が知ることとなった。

 かつて郡山を訪れた際、偶然にも伊藤が経営するレンタルルームを利用し、その斬新さにすっかり魅了された僕は、その体験ルポを複数の実話誌に書きなぐったものだ。伊藤のアイデアは、風俗取材に慣れた僕を驚かせるほど革新的だったのだ。