2020年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。国際部門の第4位は、こちら!(初公開日 2020年8月18日)。

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 およそ13億人の国民を数え、携帯電話の契約件数は11億件以上。しかし、その一方でトイレのない生活を送っている人が約6億人もいるインドという国家。IT産業の隆盛を中心に経済大国への道を突き進むなか、市井の人の暮らしぶりはどう変化しているのか……。

 経済データという「上から目線」ではなく、トイレ事情を切り口にした「下から目線」で、国家の矛盾・問題・実態に迫った一冊が『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』(角川新書)だ。共同通信社の記者である佐藤大介氏が著した本書より一部を抜粋し、インドという国の一面を紹介する。

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トイレに行くのも命がけ

 ニューデリーから車で約6時間。パンジャブ州の中部にあるバウンドリ村を訪れたのは、2017年11月下旬のことだった。一帯には収穫を終えた小麦畑が広がり、乾いた土の上を水牛がのっしのっしと歩いている。そんな風景に溶け込むように、子どもたちが裸足であたりを走り回っていた。

 バウンドリ村は、小麦農家を中心とした人口1000人ほどの小さな集落で、グーグルマップで探しても出てこない。「ニューデリーから離れた農村に行って、トイレがどうなっているかを見てみたい」と、私の勤める会社のインド人スタッフに相談したところ、あちこちつてをたどって、ようやくたどり着いたのがバウンドリ村だった。

写真はイメージ ©iStock.com

 ところで、海外で取材するときに、こうした「つて」は日本以上にとても重要だ。とりわけ、インドのような途上国では欠かせない「取材ツール」でもある。連絡先の電話番号やメールアドレスを調べてコンタクトし、取材の趣旨を伝えて承諾をもらい、会う日時を調整するといった、日本であれば普通の手順も、インドでは徒労に帰してしまうことが少なくない。その過程のどこかで話がストップし、先に進まないか、約束を取り付けても守ってくれるかどうかはわからないからだ。

 ニューデリーのような都会で、対外的な仕事に就いている人ならまだしも、外国人と接したことのないような田舎の人であれば、なおのことそうした傾向は強い。取材を申し込んで遠路はるばる約束の場所に出向いても、肝心の相手がいっこうに現れない、といったことは何度も経験させられている。

指さした先の「茂み」が「トイレ」だという

 バウンドリ村で出迎えてくれたハルディープ・カウル(30)は、小麦農家の夫と3人の子どもと暮らしている。これまで外国人と話したことは「一度もない」と言い、私が日本から来たことを伝えて「日本がどこにあるか知っていますか?」と尋ねると、恥ずかしそうに笑みを浮かべながら「わからない」と答えた。カウルに会ったのは、村の女性たちが使っていた「トイレ」に案内してもらうためだった。

 小麦畑を見渡せる小高い場所に立ち、カウルは畑の一角にある、数本の木が立った茂みを指さした。

「あそこで私は用を足していました。草も生えているし、周りから見えなくなっているので、トイレとして使っていたのです。家にはトイレがありませんでしたからね」