27歳で演技の道へ…「もう後に引けない」
オーディションや人気度など、俳優は特に“外側”で評価されることの多い仕事だ。そんな中、山田さんはデビュー作『人の善意を骨の髄まで吸い尽くす女』で主役を飾り、本作を観た入江悠監督が『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』のヒロインに抜擢するというロケットスタートを切る。
「“俳優のなり方”の普通がなんなのかもわからないから、入江監督はじめ、その後に声をかけてもらっていろんな作品に出られることがどんなに凄いことか、よくわかってなかったんです。
でも今まで好きでやっていた芝居が急に“仕事”になり、オーディションで勝ち抜くことや、周囲への期待へ応えるためにプレッシャーがかかり、どんどん肩に力が入るようになっていきました。そこは好きでブログの文章を書いていた翔子が徐々に周りを意識して“カリスマ主婦ブロガー”を目指していく過程と似ているんですけど、なんか苦しい、という状態が何年も続きました。
ただ、いろいろ経験した最後に『演技だ!』と決めて俳優になったから、もう後に引けない、という覚悟だけはあったんです。それでも正直、いい現場ばっかりでもないから根腐れを起こしそうなことも何回もありました。でもその度にちゃんと見てくれている人がいて、『永い言い訳』で声をかけてくださった西川美和監督はまったく面識もなかったんですけど、本当に苦しい思いをしていた時に呼んでもらえたんです」
「誰かの夢を応援する」と“逃げてしまった”20代
教師の父から2回だけ、反対されたことがある。1回目は、中学・高校を通してやっていたソフトボールを大学で辞め、演劇サークルに入った時。2回目は、社会人時代に同棲を始めた時だった。
「大学のソフトボール部のノリが合わなくて数ヶ月で辞めようとした時、『残される側の人の気持ちも考えなさい』って言われたんですよね。でも、何度考え直しても『どうしてもやりたい!』と、演劇の方に行ったんです。
その後、大学を卒業してすぐミュージシャンの恋人ができたんですが、私はその時、演技を諦めて彼の夢を応援しようとしたんです。千葉の里山に引っ越し、農業しながら出版社に通って、自分が大黒柱になって……。でも何年か経って、結局私は自分の夢を追いかけることになり、関係は終わってしまいました。