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「志村は今、そちらにお邪魔していますか?」愛弟子が“六本木のクラブ”で師匠を探し続けた夜

先行公開『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』#1

 急逝した“笑いの王様”のプライベートの素顔とは――。昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村けんさん(享年70)。その志村さんの傍らに7年間365日ずっと付き添っていたのが、付き人兼ドライバーだった乾き亭げそ太郎氏(50)だ。

 現在は故郷・鹿児島でレポーターとして活躍するげそ太郎氏は、志村さんの一周忌を前に、著書『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル、2月26日発売)を刊行する。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学まで秘話が詰まった一冊から、一部を抜粋して先行公開する。(全3回の1回め/#2#3を読む)

まもなく一周忌を迎える志村けんさん。愛弟子が新著で明かしたその素顔とは…… ©️文藝春秋

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「芸人の付き人」とはどんな仕事か?

 そもそも付き人とは一体どんなことをするのか? そう思っている方もいるでしょうから、簡単に説明しておきます。タレントさんによって違いますので、これから書くのはあくまでも志村さんの付き人のケースです。

現在、故郷の鹿児島でレポーターとして活動する筆者。「かごニュー」(鹿児島テレビ)より

 朝――といっても、志村さんはよほどのことがないかぎり午前中の仕事は受けていなかったので、11時くらいに自宅に迎えに行きます。それからテレビ局まで運転して、車を駐車場に入れたらすぐに現場に入ります。

 一緒に入った佐久間は現場担当で、主に志村さんの身のまわりのお世話をしていました。運転を終えた僕はそのサポートをします。

 初めての現場では、まず確認作業です。スタジオまでの導線の確認、トイレがどこにあるかの確認、そして出前ができるお店の確認など。志村さんは麺料理が好きなので、ラーメンやお蕎麦の出前ができるお店を探します。

 出前をやっていないお店には「自分たちで運ばせてください」とお願いしました。最初はたいてい「ダメです」と断わられてしまうのですが、志村さんの名前を出すと何とかなります。

「うーん、しょうがないねえ。器はちゃんと持ってきてよ」

 そんなふうに許可してくれるのです。スーパースターはやっぱり違います。

ちょうどいい長さの「鼻に入れる棒」も付き人が作成

 現場では、コントで使う小道具の確認もします。たとえばツッコミで叩くときに使う新聞が必要なら、3枚用意します。3枚だとあまり痛くないし、音もちゃんと出るからです。

 同じように、安来節やドジョウすくいなどで鼻に入れる棒も、長さが決まっています(僕の中指の付け根から第2関節まで)。これを用意するのも僕の仕事で、割り箸を削って紙ヤスリをかけて作ります。ちょうどいい長さにしないと鼻に入れたときに痛いのですが、最初はうまく作れず、

「痛ってえな……。長さが全然違うだろうが」

 などとよく怒られていました。