2020年に亡くなられた方の追悼記事のうち、文春オンラインで反響の大きかったものを再掲します(初公開日 2020年4月23日)。
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「何が恩返しかというのは今もわからないんですけど、僕は鹿児島の(自分の)番組に志村さんをゲストに呼んで、ここまで成長できましたという姿を見ていただくのが夢でした。それが僕にできる恩返しだと思っていたので。できなくなってしまったのが、残念で申し訳ないです。頭ではわかっているのですが、まだ信じられず、お墓参りをしたときに“もう志村さんはいない”とわかるんだと思います」
そう語るのは、新型コロナウイルスによる肺炎で3月29日に亡くなったお笑いタレントの志村けん(享年70)の愛弟子で、現在は故郷の鹿児島でご当地レポーターとして活躍している乾き亭げそ太郎氏(49)。90年代の多忙を極めた志村と7年間、365日ずっと傍らにいたのがげそ太郎氏だった。
4月18日からYouTubeで1987年~1996年に放送された「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)が次々と公開され、1本目の動画の再生回数は410万回を超えた。天国へ旅立っても尚、人々に笑いを届け続ける喜劇役者・志村けん。前回の記事では語り尽くせなかった師匠・志村けんの横顔を愛弟子が振り返った。
「普段から志村さんはよくニュースをご覧になっていました。スポーツ紙も全紙購読していて、忙しいときは車中に持ち込み、隅々まで目を通していましたね。そこから世の中の流行りや若者のブームなどの情報を取り入れていました。毎朝欠かさずニュースを見る理由について志村さんは、『常識を知らないと非常識はできないぞ。コントでも非常識を演じたりするけど、常識の範囲をすべて知らないと面白さは表現できないから。相手と会話をしていて“これ、知ってる?”と聞かれて、知らなかったらそこで終わってしまうだろ? 知っていて知らないふりをするのと、知らなくて知らないふりをするのはまったく違う』と、教えていただきました」
げそ太郎氏は、情報番組「かごニュー」(KTS鹿児島テレビ)で街中をレポートしているが、どの現場でも師匠の言葉を守り、社会の出来事を毎日意識しているという。しかし、志村は日々のニュースだけではなく、常にコントのヒントを探し求めていた。
月30本の映画を見てコントのヒントを探していた
「毎日帰宅が深夜だったのですが、志村さんは『どんなに酔って家に帰っても、俺は映画を観るようにしている。コントに大切なヒントやカメラのアングルも参考になる』と話していて、いつ寝ているんだろうと思いました。いつも仕事の移動中にCDショップに立ち寄り、月3、4回ほど新しい映画のDVDを10本くらい買われるんです。志村さんに『これは面白かったぞ』と、ホラー映画や、中国のロマンス映画などを勧められたりしました。舞台前には『為になるから見とけよ』と、昭和の喜劇役者だった藤山寛美さんの『松竹新喜劇』のビデオを貸していただき、何度も見て勉強しました」
厳しい芸の世界で、弟子が師匠にものを尋ねることはご法度。志村の弟子について間もなかったげそ太郎氏は、思わずしてしまった質問で志村の機嫌を損ねてしまったという。