急逝した“笑いの王様”のプライベートの素顔とは――。昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村けんさん(享年70)。その志村さんの傍らに7年間365日ずっと付き添っていたのが、付き人兼ドライバーだった乾き亭げそ太郎氏(50)だ。
現在は故郷・鹿児島でレポーターとして活躍するげそ太郎氏が、志村さんの一周忌を前に、著書『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル、2月26日発売)を刊行する。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学まで秘話が詰まった一冊から、一部を抜粋して先行公開する。(全3回の2回め/#1、#3を読む)
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深夜のファミレスに響いた「お前、なめてんのか!」
過去、僕が一番怒られたのは遅刻でした。
その日は『バカ殿様』の収録があったのですが、僕は寝坊をしてしまい、志村さんはタクシーで収録現場に向かいました。遅れて現場に入った僕は、
「すみませんでした!」
と頭を下げました。このときの志村さんは、ひと目で不機嫌だとわかるほどムスッとしていましたが、何も言いませんでした。
収録が終わったあと、志村さんはいつものように共演者さんやスタッフさんたちと飲みに行きました。そのあと、さらに上島竜兵さんと下高井戸に飲みに行き、午前3時頃になって車に戻ってきました。
「もう1軒行く」
志村さんは言いましたが、なにせ午前3時です。開いているお店が見つからず、ファミリーレストランで飲むことになりました。
駐車場に車を停めたとき、「お前も来い」と言われました。志村さん、上島さん、僕の3人でファミリーレストランに入り、着席したのとほぼ同時くらいのタイミングでした。
「お前、なめてんのか!」
怒鳴られました。そうです。志村さんに怒鳴られた2回目というのは、このときです。
「お前、調子に乗ってんじゃねえぞ?」
「何、お前が生意気に遅刻してんだよ!」
「すみません」
「俺が遅刻が嫌いなの、わかってんだろ?」
「はい」
どこの現場であれ、志村さんは予定時間の30分前には到着するように自宅を出ます。前夜どんなに深酒をしても、絶対に寝坊はしません。初めて共演する人たち、あるいはスタッフさんたちに「もういらっしゃったんですか?」と驚かれるほど早い時間に現場入りすることもよくありました。
なぜか。遅刻をすると「すみません」という謝罪から一日が始まってしまうからです。別の言い方をすれば、一日がマイナスから始まってしまう。それは志村さんが最も嫌ったことだったのです。