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中国人と呼ばれたら嬉しくない

 もともと私はソフトウェアを作るエンジニアをしていました。小説は単なる趣味として一種の遊びの感覚で始めました。ちょうど台湾の推理作家協会のコンペがあり、前の仕事をやめたばかりだったので、半分はひまつぶしで投稿したのです。ところが台湾の出版社から思いがけずアプローチがあって、小説がお金を稼ぐ仕事になるということに初めて気づいたのです。

 島田荘司さんは33歳でデビューした、松本清張さんはもっと年をとってから、石田衣良さんは30代半ば。前の会社をやめるとき、私は20代半ばでした。「会社をやめたら30歳でデビューしてやる」と同僚に冗談で語っていたのが実現してしまって、本当に人生は面白いと思います。

2011年、台湾で行なわれた第2回島田荘司推理小説賞受賞式。島田荘司氏と。©玉田誠

 私は心から「自分は香港人」と言い切ることができます。私の世代は大方、そうでしょう。ただ、香港は国家ではなく正式に香港人という身分は存在しません。私は英国旅券を持っているので英国人でもあります。しかし、私が「自分は英国人」だと言っても説得力はない。なにしろ一度も英国に行ったことがありませんからね。さらに、もし「中国人」と呼ばれたら、あまり嬉しくありません。私はアイデンティティクライシスに常に直面しているのです。かくも香港人の身分の問題は複雑で、混乱しています。

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 正直、返還以後の香港はおかしくなりました。雨傘運動に参加した若者たちは次々と逮捕されています。もしも彼らが厳しい罰を受けなければ香港政府には人情が残っていたと言えたでしょうが、そうはなりませんでした。

 香港の将来について短期的には悲観していますが、長期的には楽観しています。香港人が雨傘運動で求めた「普通選挙」に対し、権威主義の北京政府は100%の(望み通りの候補者が選ばれる)保証を求めました。香港人が抗議の街頭デモを試みても、北京は分離主義だとみなして「香港独立」の濡れ衣を着せました。この状況にすぐ解決を見出すのは困難です。

 しかし、長い目でみれば、ソ連やほかの国がそうだったように、権威主義体制はいつか終焉を迎える日が訪れ、香港の問題も解決されると信じています。ただ、中国が変革に動き出すのは、何十年も先かもしれませんが。

 1997年以前がすべて良かったというつもりはありません。確かに経済は伸びました。香港ハンセン株価指数(筆者注:日経平均株価に相当)も高くはなった。不動産価格も上昇しました。バブルの頃の日本のように、不動産や株に資金を入れるだけで、嘘のように儲かる時期がありました。

 私が住んでいるのは広さ40平方メートルしかない小さな小さな家です。日本では12坪ぐらいです。2001年に買ったときは165万香港ドル(現時点のレートで約2400万円)でしたが、いまは600万香港ドル(約8600万円)になり、日本でいう「億ション」に近い(笑)。しかし、私には値段が上がろうが下がろうがあまり関係のないことです。今の家を出たら住むところがないからです。日本ならば、東京が嫌でも埼玉に引っ越せばいいのですが、香港人はほかに行く場所がありません。

 そして、人は自分のマザーランドを嫌いになるのは、難しい。

「常にアイデンティティクライシスに直面しています」©玉田誠

 返還のとき、香港人は香港にとどまるべきか、移民すべきか、難しい選択を迫られました。作品の主人公のクワンは多くの香港人がそうであるように、香港にとどまる道を選びました。香港が好きだったからです。

 彼は香港のために正義を貫こうとしました。大きな運命に抵抗することは難しい。ですが、彼は自分の使命を彼の弟子(筆者注:作品中のロー警部)に渡しました。ここに小さな希望を見出してほしいと思っています。

『13・67』は12ヶ国語に翻訳され、複数の賞をいただきました。ですが、私は、書き終えた作品はきれいさっぱり忘れて、満足という言葉は考えないようにしています。次の作品こそ、私にとって満足できるベストの作品になると信じて。だからこそ、次の作品に挑戦できるのです。

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©玉田誠

【陳浩基(ちん こうき)】
1975年生まれ。2009年、「藍鬍子的密室(青髭公の密室)」で台湾推理作家協会賞を受賞。2011年、『遺忘・刑警』(邦題『世界を売った男』)で島田荘司推理小説賞を受賞。2014年、『13・67』を刊行し大きな話題を呼ぶ。2017年7月には新作長篇『網内人』が刊行された。

©玉田誠

【野嶋剛(のじま つよし)】
1968年生まれ。朝日新聞入社後、シンガポール支局長、台北支局長などを歴任。2016年からフリーとなり、中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に活発な執筆活動を行う。著書の多くが中国、台湾で翻訳出版されている。近著に『故宮物語』『台湾とは何か』など。

13・67

陳 浩基(著)、天野 健太郎(翻訳)

文藝春秋
2017年9月30日 発売

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