昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

genre : ニュース, 社会

「助けてください」爽彩さんは中学校に電話したが…

「その日は雨が降っていたんです。夕方6時頃、加害グループのA子、C男、別の中学校の生徒や小学生ら計10人以上がウッペツ川の土手の上に集まった。これは事件後に爽彩の母親が本人から聞いた話ですが、1人の生徒が笑いながら、『今までのことをまだ知らない人に話すから。画像をもっと全校生徒に流すから』などと爽彩に言ったそうです。『やめてください』と爽彩がお願いしたら『死ね』と言われたと……。

『わかりました。じゃあ死ぬから画像を消してください』と爽彩は答えたそうです。しかし、別の生徒が『死ぬ気もねぇのに死ぬとか言うなよ』と煽った。そこから集まった全員に煽られ、爽彩は柵を乗り越え、コンクリートの土手を降り、ついに川へ飛び込んだのです。“自殺未遂”というより、イジメグループたちから逃げるためには川に飛び込むしかなかったのです」(同前)

イジメをうけた後に爽彩さんが描いた絵

 川へ飛び込む直前、爽彩さんは中学校に「助けてください」と、助けを求める電話をしていた。すると、連絡を受けた学校から母親の元にも「今から公園近くの川にすぐに来てください」と電話があった。母親は急いで現場へ向かったという。

「母親が川に着いたときには、爽彩は男の先生たちに抱えられていました。着ていたジャージはずぶ濡れで、川から引き揚げられた直後だったそうです。爽彩は『もう死にたい』と泣き叫んでいて。その様子を、他の加害生徒たちは公園側の遊歩道から柵越しに見ていただけだったそうです」(同前)

「川に飛び込むとき、みんなが携帯カメラを」目撃証言

ウッペツ川 ©文藝春秋

 この“事件”の一部始終を川の対岸から目撃していた人物がいたという。

「その方(目撃者)が川に飛び込んだ爽彩を心配して、警察に通報したのです。その方は『私見てたの、1人の女の子をみんなが囲んでいて、あれはイジメだよ。女の子が川に飛び込んだときにはみんなが携帯のカメラを向けていた』と爽彩の母親に話したそうです」(同前)

 取材班はこの目撃者にも話を聞こうとしたが、すでに亡くなっていることが現場周辺の聞き込みでわかった。