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 9月にY中学校で開かれた、加害生徒と保護者が爽彩さんの母親らに「謝罪をする会」には、Y中学校の教師が立ち会うことはなかった。爽彩さんの親族は「学校側がもっと真摯に対応してくれていれば、イジメがここまでエスカレートすることはなかったのではないか」と無念の言葉を漏らした。

 なぜY中学校はイジメの問題に対して、真摯に対応してこなかったのか。4月11日、爽彩さんが在籍していた当時のY中学校の校長を直撃した。

イジメがあるというアンケート結果は上がっていない

――爽彩さんが亡くなったことは知っていましたか?

「2月にいなくなったことは聞いていて、1カ月も経って遺体で発見されたと、ネットで初めて知りました。学校にいた生徒ですからね、中には入らなかったですけど葬儀場の近くまで行って、外から手を合わせました。なんとかしようというのはあったと思うんですけど、居た堪れない」

――爽彩さんの母親からイジメの相談があったときに調査をしましたか?

「生徒間のトラブルや、些細なトラブルがあれば情報共有することを学校側ではしている。もし、イジメがあれば把握はします。毎年5月にイジメに関するアンケート調査を実施していますけど、(イジメが)あるという結果はあがってないです」

――それでイジメはなく、爽彩さんが抱えているのは家庭の問題だと判断したと。なぜそのような判断になったのですか?

「(ウッペツ川への飛び込み事件があった)当時、教頭先生からの話では、爽彩さんを川から引き上げた時にお母さんを呼んで引き渡そうとしたが、本人(爽彩さん)が帰りたくないと大騒ぎしたそうです。子供の問題の背景に家庭の問題というのは無視できないですから」

――加害生徒たちが爽彩さんに対し、卑劣な行為を繰り返していたのも事実です。加害生徒への指導は適切に行いましたか?

「指導する立場ですから。あくまで(学校は)警察ではないので、しっかり指導はしました。警察が動いているときは、(イジメの)話題には触れないで下さいとあったので(そのように)対応してます」

――先生たちの対応や指導に対して、加害生徒たちはどういう反応でしたか?

「それについてはお話しすることが出来ません。学校内で起きたことを個別でどういうことを指導しているかについて、学校として他に喋ることはできない。そんなことをしたら生徒に対する裏切りになる」

――亡くなった爽彩さんは失踪直前までにこの件でPTSDとなり、「死にたい」と親族に話していました。

「爽彩さん本人と話せなかったですし、そこまでに至らなかった。ですから転校した後も関係した生徒と保護者、爽彩さんのお母さんを交えて話し合いをしています」

爽彩さんが通っていたY中学校 ©文藝春秋

弁護士を同席させることは「教育者としてありえない」

――2019年9月11日に行われた「謝罪の会」ですね。学校側として、弁護士の同席を拒否しようとしたのは事実ですか?

「それは事実です。教育機関のあるべき姿じゃないです。実際に指導の場に弁護士が立ち会うものですか? 僕は入れるべきじゃないって言いました。私たちの学校は被害者と加害者の生徒が絡んでいるんですよ。弁護士がいるなんて子供からしたらどれだけ厳しい状況だと思います? 教育者としてそれはありえない」

旭川市教育委員会 ©文藝春秋

――9月11日の会はどういう目的で開かれた会だったのですか。生徒への「指導の場」としてなのか、それとも爽彩さんへの「謝罪の場」としてなのか?

「最終的には指導の場です。だから謝罪しましょうってなってるんですから」

――学校側が設けたのですか?

「そうです。前からやっていますから、例えば、ケガをさせたりだとか、そういう時は謝罪をしましょうって」

――爽彩さんの代理人弁護士から加害生徒の調書の開示請求が行われていますが?

「それに関してはしっかりと理由を伝えて開示できないと伝えました。(開示できない理由は)顧問弁護士と話し合って決めました。申し訳ないですけど、すべてきちんとやっています」