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天才・イチローとオリックスの「二平」

 歴史好きの人に「二兵衛」と聞けば竹中半兵衛・黒田官兵衛の名前がすぐに出てくるのだという。豊臣秀吉の天下獲りに貢献した稀代の軍師2名である。同じく1996年、仰木彬の天下獲りに大きく貢献した2人のストッパーが居た。オリックスの「二平」、平井正史と鈴木平のダブルストッパーである。去る1996年10月19日の東京ドームでの日本シリーズ第1戦。1点リードのオリックスは守護神・鈴木をマウンドに送り勝利を手中に収めようとしていた。しかし敵は流石の長嶋巨人。大森剛のホームランで土壇場で試合を振り出しに戻す。今度はその日ノーヒットだった天才・イチローのソロホームランでオリックスが再度逆転に成功。その裏、ダブルストッパーのもう一角、いや、もう一平、平井が締めて初戦をものにした。このシリーズ、オリックスの継投は盤石である。左の野村貴仁に右の鈴木、平井。この日も鉄壁の継投リレーでこのままオリックスが逃げ切るだろうとトイレのついでに炉端屋のテレビを覗きに行くと何やら試合が中断しているではないか。
 
 再びカウンターのおっちゃんに聞くとどうも仰木監督が本西厚博の捕球した外野フライを巡って猛抗議している最中だとか。しかしこの常連さん、試合はまだ4回だと言うのに既にベロベロである。本西の捕球の状況を繰り返し説明してくれるのだが、地面すれすれで好捕した事をVTRのように繰り返す。捕球した瞬間の話だけ繰り返す為、話が永遠にループしている状況だ。幸いトイレ、いや化粧帰りの女の子と合流して座敷に戻ったので難を逃れたがあのままでは自分の方が常連さんに好捕されていただろう。当時の言葉で言えば「チョベリグ」なタイミングであった。

日本シリーズで1勝3セーブと勝ち試合全てでセーブポイントを挙げた鈴木平 ©文藝春秋

なんだかんだと厳しい世間を生き抜いている氷河期世代

 その後コンパも盛り上がり、自分も鈴木のシリーズ記録となる4セーブポイント目を確認して、店を出る事にした一行。二次会のカラオケ会場に向かう道中、ツレの一人はずっと「LA・LA・LA LOVE SONG」をリハーサルさながら歌いながら歩いていた。道頓堀の街頭ビジョンではオリックスの優勝を伝えるニュースが繰り返し流れる。「ひっかけ橋(戎橋)」の上ではシャ乱Qのような出で立ちのキャッチが道行く女性に声をかけていた。街はもう肌寒い時季なのに女性はみんな「ナマ足」にロングブーツ。不況不況と言われながらも木曜日の夜のミナミは多くの人で賑わっていた。歌っているツレは明日も早朝から派遣の仕事で現場に行くという。「就職氷河期世代」達は残り少ない20世紀を必死に楽しんでいた。
 
 あれから21年。オリックス・ブルーウェーブはオリックス・バファローズになりグリーンスタジアム神戸もほっともっとフィールド神戸に名前を変えた。あのシリーズで対戦した若き天才・イチローはアメリカ・メジャーリーグでレジェンドとなり、日本屈指のスラッガー・松井秀喜はニューヨーク・ヤンキースで4番を務め、帰国後は国民栄誉賞を受賞した。安室奈美恵は40歳を過ぎても第一線で輝き続け、ついに今年引退を発表した。

 そしてなんだかんだと我々「就職氷河期世代」も厳しい世の中を何とか生き抜いている。派遣の仕事をしていた「LA・LA・LA LOVE SONG」のツレは電気工事の仕事と生涯のパートナーとマイホームを手に入れ、今では一児の父となった。「失われた世代」と言われるが、我々は得るものの方が多かった世代でもあったのだろう。20世紀の最後をあんなに楽しめたのだから。

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 だからこそ泣いて笑って喜んで、エネルギッシュに生きて行こう。今度はBsの未曾有の「日本シリーズ氷河期」を。

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