文春オンライン

「実は心配性で自分に自信がなかった」芸能活動20年・西川史子が振り返る「毒舌キャラ」誕生の“原点”

西川史子さんインタビュー #3

2021/05/02

source : 文藝春秋 digital

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ, ライフスタイル, 働き方

note

フラれるのが怖かったから二股をかけていた

――それはすごいですね。恋愛や結婚についてもお母様からアドバイスはあったのですか。

西川 「股をかけろ」というのが母の方針で。相手のルックス、学歴、収入、生い立ちなどを全部数値化して、いろんな男を比べろと言っていました。私自身、合コンには誰より遅れて行って、どんなに楽しかったとしても一番早く帰るとか、どんな振る舞いをすれば男にモテるかを研究し尽くしていたので、20代までは相手を選ぶのが大変なほどでした。

西川さんがこれまでに出版した著書の一部

――しかも大学在学中には「ミス日本」でフォトジェニック賞を受賞されて、「西川無双」ですよね。

ADVERTISEMENT

西川 今思えばそれがよくなかったんですけどね。フラれるのが怖かったから二股をかけていた……ということもあるし、挫折の経験がないから極端に失敗や負けを恐れていました。自分に自信がなかった裏返しですよね。

 数値化できる男性をずっと求めてきたわけですが、離婚を経験した今となっては、楽しい時間を一緒に過ごせる、気の合う人の方がよっぽどいいなと思います。そういう相手がまた見つかればいいですね。

研修医の月給は5万円。働く大変さを学んだ

――42歳での離婚のあと飼い始めた愛犬を突然亡くされた経験から、体調不良に陥ってしまった。その当時までは「挫折知らず」で「人生初の挫折が40代」だった……という西川先生は、医師としてのキャリアを歩まれるなかでつらかったことはありますか。

西川 西川家は代々医師の家系だったので、母にお尻を叩かれながら、とにかく医者にならなくてはと必死に勉強して医師免許も取れました。でもいざ研修医になってみると月給は5万円。それまでバイトもしたことがなかったですから、働く大変さを身をもって学びました。

 

 最初は今やっている美容皮膚科を専門としていたわけではなく、整形外科にいたんです。でも力がなくて患者さんの身体を支えられなかったんですね。これは致命的だと感じました。そんな時にたまたまボトックス注射を日本に広めた松倉クリニックの松倉知之院長に出会って、「これだ!」と思いました。履歴書を持参して「雇ってください」とお願いして、今に至ります。

写真=鈴木七絵/文藝春秋

 医師としての仕事とメディア出演のバランス、これからの生き方について、西川さんはどんな風に考えているのか、最後に伺いました。インタビューの全文は「文藝春秋 電子版」で公開中です。

「実は心配性で自分に自信がなかった」芸能活動20年・西川史子が振り返る「毒舌キャラ」誕生の“原点”

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文藝春秋をフォロー