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幾度も逆境を力に変えてきた男・石山泰稚は9回のマウンドに帰ってくるか

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/07/13

守護神に就いてから初めて味わう逆境

 ♪GO FOR IT! 走れ、恐れないで進んで
 ヤクルトファンにはおなじみの登場曲、泉佳伸の『夢色傘』に乗って、背番号12が神宮のマウンドに帰ってきた。

 7月10日の広島戦。ちょうど3週間ぶりの一軍登板で石山泰稚(32歳)が上がったのは、2点ビハインドの7回のマウンドだった。ケガをしていたわけではない。スタートから順調にセーブを重ねながら、今シーズン初めて無観客で行われた4月27日の巨人戦(神宮)で9回に決勝点を許して敗戦投手になると、そこからたびたび救援に失敗。抑えの座から配置転換されてもなかなか調子が戻らず、ファームで再調整となっていたのだ。

 2018年シーズンの途中で守護神として定着して以来、コンディション不良などによる離脱はあっても、再調整のために登録を抹消されるのはこれが初めて。つまり、石山にとっては守護神の座に就いてから、初めて味わう逆境と言っていい。

 ただし、思い返せば彼は新人の頃から、幾度となくそうした“逆境”を力に変えてきた。社会人のヤマハからドラフト1位で入団した2013年、先発としてローテーション入りを期待されながら、オープン戦で結果が出せず開幕は二軍。中継ぎでスタートしたドラフト2位ルーキーの小川泰弘が、オープン戦で14イニング無失点を続けて開幕ローテの座を掴んだのとは対照的だった。

 ファームでリリーフとして調整した石山の一軍デビューは、同年4月14日の巨人戦。2点ビハインドの7回に登板し、1イニングを無失点に抑えた。

「いい経験になりました。緊張はありましたけど、オープン戦みたいにリキんで自分のピッチングができなくなるのがイヤだったんで。(ファームで)フォークも練習してきましたし、いい感じで落ちてくれてよかったです。ゼロで抑えられたのが一番の収穫です」

 一軍での“初仕事”を終え、東京ドームのベンチ裏から駐車場へと続く階段を上りながら、少しホッとしたように話すその横顔を、今でもよく覚えている。

石山泰稚 ©文藝春秋

順風満帆ではない石山のリリーフ人生

 もっとも、そこからも順風満帆だったわけではない。4月17日の中日戦(神宮)では1点リードの6回1死二、三塁で登板も、2点タイムリーを浴びて先発の小川の勝ちを消してしまう。5月5日の阪神戦(甲子園)で挙げたプロ初勝利も、8回に同点2ランを浴びた後に味方が勝ち越して、転がり込んできたものだった。

「うーん、すみませんって感じで。ファンの方に(祝福の)声をかけられても『ありがとうございます』じゃなくて『すみません』なんですよね(苦笑)。(ウイニング)ボールをもらったんですけど、逆にそれを見て忘れないようにしています」

 当時、初勝利についてそう話していたように、石山はそのほろ苦い経験をしっかり糧にして、5月下旬からセットアッパーに定着する。同期の小川、そして山本哲哉(現ヤクルト二軍育成投手コーチ)と共に監督推薦でオールスターにも選ばれ、本拠地の神宮で行われた第2戦では今を時めく大谷翔平(日本ハム、現エンゼルス)から三振を奪うなど、1イニングを無失点で切り抜けた。

 同期の小川が最多勝、最高勝率のタイトルを手にして新人王に輝いたために目立たなかったが、石山もチーム2位の60試合に登板し、セ・リーグ6位の21ホールド。後半戦はクローザーの役割を担ってチーム2位の10セーブも記録するなど、堂々たるルーキーイヤーだったと言っていい。

 その後は先発転向を経て、2016年から再びリリーフに専念。翌2017年はリーグ4位タイの66試合に投げてチームトップの24ホールドとキャリアハイを更新するが、本人は忸怩たる思いを抱えていた。

「勝ちゲームでずっと投げれなかったっていうのがありますし、調子の波もあって、チームに迷惑をかけた時もあったので……。(2018年は)勝ちゲームで投げることが目標なので、7、8、9(回)、しっかりそこに入れるように頑張っていきたいです」