「大阪湾に死体が浮いたら僕だと思ってくれ」
同じ年の2月、東和証券渋谷支店営業課長代理の西村秀が、顧客から現金3億9000万円を預かったまま失踪するという事件が起きていた。西村は優秀な証券営業マンとしてならしていた。そんな彼が忽然と姿を消したのである。失踪前に西村は次のように語り、多額の金を集めていたことが判明した。
「株のインサイダー情報がある。大阪の上場企業キーエンスの役員が所有株式を放出し、株の売却益で医療や海外観光開発などの事業会社を設立する計画だ。この取引は市場を通さない。役員から放出された株は投資家がいったん買い取り、これをチェースロンドン銀行が25%増で買い取ることになっている。東和証券は手数料として5%を受け取るので、1晩で20%の儲けが出る。1億出資すれば2000万の儲けです。私を信じて出資して頂けませんか」
事件は経済事件を専門に扱う警視庁捜査2課が捜査に着手していた。西村は周囲にこんな話をしていた。
「キーエンスの話は、顧客の小田嶋さんから持ちかけられた。株売買がうまくいけば新しいコンサル会社に契約金1億円で迎える、だから出資金を確保してくれと言われた」
西村は金回りのいい小田嶋に憧れを抱いていた。だが、一方で一抹の不安も抱えていたようで、知人にこうも漏らしていた。
「大阪湾に死体が浮いたら僕だと思ってくれ。もし僕がいなくなったら、小田嶋さんのことを警察に話して欲しい」
捜査二課は共犯、もしくは主犯の可能性を視野に入れ小田嶋への取調べを続けていた。その最中に誘拐事件は起こったのだ。
照合の結果、小田嶋本人の指と判明
小田嶋の事件は誘拐事件に切り替わり、捜査一課が乗り出し、特殊班が投入された。この特殊班で捜査にあたっていた刑事の1人に市原義夫がいた。
若き日の大峯と刑事養成講習で机を並べた、あの市原である。
市原は講習受講後、所轄で暴力団担当刑事としてキャリアを積んできた。白いスーツ姿にエナメルの靴で闊歩する“マル暴刑事”として活躍、ハンサムな青年は強面刑事へと成長して所轄で名を揚げた。市原もまた実技を買われ、警視庁捜査一課に引き上げられた刑事の一人だったのである。
送られてきた指を見て捜査員たちは慌ただしく動き始めた。
市原が回想する。
「犯人の現金要求の動きがノロノロしていて、この誘拐事件はどうにも不自然だなとみな思い始めたところに、指が送られてきたのです。照合すると確かに小田嶋本人の指だ。やはり誘拐か、と捜査陣は色めき立ちました」
捜査一課長に就任していた寺尾正大は、ここである読みをする。
「小田嶋は指を切り落とされているから、どこかの病院に行っているはずだ。都内の病院を徹底的に洗おうじゃないか」