河野の好投を忘れずにいたい
シドニーオリンピックでの野球日本代表は、準決勝でキューバに敗れ、3位決定戦でも韓国に敗れて4位に終わった。公開競技時代も含めて4大会連続でメダルを手にしてきた野球だけに、「プロ・アマの連携が上手くいかなかったから」といった批判が出て、2004年のアテネ大会から代表全員がプロ選手で構成されるようになった。
しかし、当の選手たちはどうだっただろうか。選手団の主将を務めた杉浦正則(日本生命)は「チームとしては、短期間ではこれ以上望めないほどの結束力でまとまっていたし、“勝つ”ということに向かって全員が持てる力を充分出し切ったオリンピックでした」(『Number』507号・2000年)と語り、河野も「技術はどうだったか知りませんけど、雰囲気の面ではナンバー1だったと思いますね。本当にあのチームだったら何回でも五輪に出たいですね」(『アスリートマガジン』2000年11月号)と振り返っている。はたから見ていても、選手たちは野球を楽しんでいた印象がある。
結果だけ見れば不本意な成績だったのかも知れない。それでも、一つ一つの試合、一つ一つのプレーは残る。シドニーオリンピック予選リーグのキューバ戦、河野は4点ビハインドの8、9回の2イニングに登板した。危なっかしい場面はあったものの、最後はゴメスを併殺打に打ち取り、無失点でマウンドを降りた。河野のオリンピックでの成績は、3試合に登板して防御率0.00。見事なものである。
現在、正直なところ、シドニーオリンピックの印象は薄れてきつつある。華々しくホームランを放ったとか、先発で長いイニングを力投したとかいう訳ではない、中継ぎの河野がオリンピックに出場したことも、思い出す人はもはや少なくなっているだろう。でも、私は河野の好投を忘れずにいたい。
河野が2017年、39歳でこの世を去ってしまうことなど、シドニーオリンピックの時には想像もしていなかった。今回の東京オリンピックも、数十年後に「今にして思えばこうだったね」と振り返ることができるだろうか。そのためにも、今後の試合を注視していきたい。
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