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吉原知子に短パンを縫ってもらった新人時代

 17歳で代表デビュー。人気を博した大山加奈、栗原恵の「メグカナ」の陰に隠れつつも、チーム内では存在感を示していた。

 小学5年でバレーを始めた荒木の憧れの選手は、同じセンターポジションの吉原知子(現JTマーヴェラス監督)。吉原は当時、厳しい言動から誰もが恐れる闘将だった。その吉原と海外遠征の時に相部屋になった。しかもベッドはダブル。荒木は緊張して眠れないと騒いでいたが、吉原によると5分もしないうちに大きないびきをかいていたという。また、練習中に短パンが破れてしまうと、裁縫ができない荒木は、吉原に縫ってもらった。新人とは思えない肝の据わり方だった。

©JMPA

 だが、アテネ五輪最終予選直前で、メンバーから外された。その時の悔しさがその後の自分を作ったと語っていた。

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「今考えれば、技術がなかったから落とされても当然だったんですけど、当時は悔しくて悔しくて…。次の五輪には絶対に出場したいと必死に練習しました」

 北京五輪で初舞台を踏み、それ以降3大会連続で五輪に出場してきた。

 子供を育てながらでも現役を続けられる姿を多くの女子バレー選手に見せてきた。後に続く選手が一人でも多く現れることが、荒木には最高の喜びになる。今年の母の日に小2になった娘からこんな手紙をもらったという。

「頑張っているママが好きだよ。一緒に頑張ろうね」

 荒木は今、主将として戦った東京五輪敗戦の責任に苛(さいな)まれているはずだ。それでも家に帰り娘の顔を見たときは、「ママ、必死で頑張ってきたよ」と胸を張り満面の笑みを浮かべてほしい。