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亡国のフジロック2021、「反知性」「反政府」「反権力」による祭典と化す

2021/08/25
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 総理大臣の菅義偉さんが、個人の意地もあってか東京オリンピック・パラリンピックの開催を強行しましてね。正直、私もどうせなら五輪はもう1年延期したらと考えていたクチで、国民の健康を考えたら何してんだよと思いますが、いろいろ批判もありつつも相応の感染症対策はしますと宣言したうえで開催決行してしまいました。

 読者の皆さんも、さまざまご意見あると思うんですよね。

人流を減らさなければ感染は広がる

 とにかく人流を減らさないと東京など首都圏はもちろん、近畿圏、福岡、沖縄、北海道に愛知も感染者数は減らず、高熱を出しても病院にも入れずに自宅待機になり、大変な思いをする国民の数は増えてしまいます。国民には「帰省しないでね」とお願いする一方で、オリンピックのような商業的大運動会を催して良いのか、我が国の政治は国民の健康よりも五輪開催を取ったと思われたら、国民もだんだん政府の言うことをきかなくなるんじゃないかと危惧するんですよね。

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 一方、大規模イベントについては「きちんとした感染症対策を実施するのであれば」「適切な入場人数に制限したうえで」開催して良いよという話にはなってます。実際、Jリーグやプロ野球などのスポーツ興行や、一部ライブイベントやコンサートなども有観客で解禁されたままで、まあ確かにスタジアムやコンサートホールで感染することはないのかもしれないけれども、その行き来で電車に乗ったり路上飲みをしたりしたら、やっぱり人流は減らずに感染は広がるんじゃないかと思います。

 さらには、都知事・小池百合子さんの必死の呼びかけにもかかわらず、いまや産業界は「感染症対策の徹底」が済んでいることを建前に、テレワークから徐々に通常出社に舵を切り、このクソ緊急事態宣言の最中にもかかわらず朝はコロナ前と同じぐらいの通勤ラッシュに見舞われることもあります。通勤電車ではマスクもしているし、人も喋らないから感染症拡大のリスクは小さいよ、と理屈の上では分かっているのに感情ではなんか怖いと思ってしまうのであります。

 そこへ来て、フジロックですよ。