「分かりにくい話をする馬鹿」って多いじゃないですか。
まあ、私も自信ないんですが。例えば、テレビ番組のひな壇芸人が面白そうな話をしていて、観客がドッと笑っているのに、一度時間をおいてよく考えてみたら全然面白くないよな、ってことがあるぐらいに、人は雰囲気で他人の話を聴いていることって多いと思うのです。
「へー、そうだったんだね」と感心したように見せるという労力
なんかこう、分からせようという雰囲気で喋る工夫ってのは大事だと感じるんですが、お笑いを見ていると「面白い話を受け取りたい」「漫才を聴いて笑いたい」という聞き手側の「聞くぞ」「笑うぞ」という態度がはっきりあって初めて「雰囲気で笑える」「好きな芸人が出てきただけで笑いがこみ上げる」ってのがあるんじゃないかと。
一方、どうでもいい話しかしてこない奴の話は耳に入ってきません。お前が台風直撃しても苦労してフジロックに行って泥だらけになった話とか、1ミリも聴く気がせんわ。「ご苦労なこったな」とか「ざまあみろ。そのまま泥団子になって朽ちて銅像にでもなればいいのに」などとしか思えません。聞く気のない話の分かりにくさってのは何なのでしょう。お前は好きかもしれないけど、こちらには全く興味の無い話を延々とされ、それに相槌を打ち、一応「へー、そうだったんだね」と感心したように見せるという「その人との人間関係を維持するために必要とされる精神力と時間の投資」が必要なときほど何を喋られたか覚えてないってのは多いと思います。