おとぎ話のようなハリウッドの大邸宅で
タエミさんは、「喜多川家とは親戚づきあいだった」と言うが、メリーやジャニー姉弟としてはいつまでも他人を頼るわけにもいかなかったのだろう。家賃がかからず、勉学にも励めるハウスガール(住み込みの家政婦)はうってつけの行き先だった。(全2回の2回目/前編を読む)
「私が、泰子ねえちゃん(メリー)が逝ったと聞いて、真っ先に思い出したのがハウスガール時代のこと。泰子ねえちゃんが住み込んだのは、ハリウッドの大邸宅でした。裕福な家庭だったから家族が旅行に出ることも多くて、そんな時には『泊まりにお出で』って。1週間くらい泊まったこともありますよ。
リトル東京の日系社会とはまったく別の、未知で素敵な世界がそこにはありました。泰子ねえちゃんはてきぱきと料理をこさえてくれて、お城のような館で好きなことをして過ごす。まるでおとぎ話の中にいるようで、泰子ねえちゃんから誘われるたびに飛び上がって喜んだものです」
とはいえ、ハリウッドの豪邸に弟2人の姿はなかった。ハウスガールの立場で、弟たちを居候させることなど叶うべくもないことだった。
「ヒー坊(ジャニー)もマー坊(ジャニーの兄、真一)も、結局ハウスボーイになって3人は別々に暮らしていました。ハードライフですよね。親もいなくて、お金もなくて、離れ離れで……。寂しくつらかったことでしょう」
泰子ねえちゃんの英語は、日本訛りが強かった
その上、英語の壁も立ちはだかったはずだ。いったい、メリーやジャニーの語学力はどのようなレベルだったのだろうか。
「泰子ねえちゃんにとって、いちばん話しやすいのはもちろん日本語ですよ。ヒー坊もそうでしたが、2人にとって英語はあくまで第2言語。だから、日英両語が堪能な私の母と泰子ねえちゃんは、常に日本語で話していましたね。反対に、日本語をほとんど話せない私とはいつも英語でした。泰子ねえちゃんの英語は、日本訛りが強かったし流暢ではなかったけれど、日常生活は十二分にこなせました。アメリカ生まれというものの5歳で日本に行き、20歳を過ぎてからアメリカに戻って英語を学んだことを考えれば、大変な努力だと感心します」