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犬を顔で選ぶことは人類本来の行動

 だが、それらにもましてはるかに決定的だったのは、この犬の顔がとても可愛かったことである。私は中身よりも見た目重視、ファーストインプレッションで物や交際相手を選ぶタイプの人間である。最近では度重なる他の犬との喧嘩ですっかりふてぶてしくなったが、1歳当時は本当に愛くるしい容貌をしており、村一番の美犬といっても過言でなかった(正確にいえばこの犬の妹のほうが可愛かったが、雌は妊娠したら働けなくなるので断念した)。

 犬は白熊対策の番犬と橇引きのための労働犬として連れているので、顔で選ぶのは馬鹿げているように思える。実際、私にも、犬を顔で選んだことについて、結婚相手を選んだ理由を訊かれて「性格です」と言い切れない男に似たような後ろめたさがあった。

 

 しかし犬についての本を読むなどするうちに、犬を顔で選ぶのは決して馬鹿げたことではなくて、人類と犬との進化史の観点からみても非常に合理的な選択だったことを私は知った。

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 というのも、犬と狼をわける大きな特徴のひとつに犬のネオテニー化があるからである。ネオテニーとは幼児期の特徴をのこしたまま大人になる現象をさす生物学用語で、進化上有利な場合が多いとされている。犬は狼にくらべて頭が小さくて横幅が広く、歯も小さく、鼻も短い。それだけでなく年をとっても馬鹿騒ぎに興じるという子供じみた特徴をのこしており、あきらかに狼がネオテニー化した動物だとされている。そして、なぜそうなったかといえばネオテニー化したほうが犬にとって進化上有利だったからだ。

 犬というのは、後期旧石器時代に狼が人間と接触するうちに、人間に取り入り、人間と一緒に行動したほうがこの生存競争の厳しい過酷な荒野で生き延びることができると判断し、自ら家畜化して人間に飼いならされることを選んだ極めて特異な動物種である。

 そのことを考えると犬がネオテニー化したのは人間に可愛いなと思ってもらった方が自然淘汰的に有利だったからであり、逆にそれを人間の側から見れば、結局のところ、昔の先史人も犬を選ぶときは顔で選んでいたのかよ、ということになる。だとすると私が顔で犬を選んだのは後期旧石器時代以来の由緒ただしき人類本来の行動であるわけで、とてもナチュラルで無理のない判断だったのである。