探検家にとっていまや、世界中どこを探しても“未知の空間”を見つけることは難しい。大学時代から、様々な未知の空間を追い求めて旅をしてきた角幡唯介氏は、冬になると北極に出かけていた。
そこには、極夜という暗闇に閉ざされた未知の空間があるからだ。角幡氏の4年以上にわたる壮大な旅をまとめた『極夜行』(文藝春秋)より一部抜粋して、極夜の旅を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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ここにきて私はこの極夜世界をはじめて恐ろしいと感じていた。寒さや空腹ではなく、暗さそれ自体が恐ろしい......。こんな暗い中、俺はあまりに奥にまで入りすぎてしまったのではないか、本当に生きて帰れるのだろうかと急速に不安になってきた。
翌日テントを出ると、あいかわらず威圧的な闇と巨大な沈黙が、黒いエーテルとなって私の一身にのしかかっていた。風も音もない大気はただ重たく、見えない暗黒物質の粉末が大気中にぎっしり詰まって、ぎゅーっと押し固まっている感じだった。
そこに月が慈愛と抑圧をまぜあわせた光を放ち、太母のように君臨している。
ただ、月は昨日よりもさらに欠け、高度も落ち、明るさは失われていた。許された時間はあとわずかしかないように思えた。
私は前日にひきつづき、例の楽園谷の奥へ向かおうと南下をつづけた。楽園谷の底に下りると軟雪の下の丸石河原にはまる危険があるので、この日も斜面につづいていた平坦なテラスをトラバースすることにした。
月光が照らすところによれば、その先には他愛のない、いかにも歩きやすそうなベタッとした真っ白な雪面がつづいているように見えた。私はその歩きやすそうな雪面を進むことにしたが、いざ奥へ進むと、そこは、もう橇を引いて登り返すことは到底不可能なほどの急な下り斜面につながっていた。くそ、全然話がちがうじゃないか、そう思った。その斜面に1頭の麝香牛の足跡がつづいていた。ここを下りるともう登れないが、だが別のルートを探すのも面倒くさい。それにこの地形の感じだと、いずれはどこかで楽園谷の谷底まで下らなくてはならない。そう考えた私はそのまま麝香牛の足跡をたどって斜面を下ることにした。
下りはじめるとやはり橇は斜面の途中の岩にひっかかって二度、三度と横転した。大声をあげて全力で横転した橇を起こすたびに、私は肉体の内側の臓物や血管や関節の隙間に、もはや除去することなど能わないどろっとした疲労が油汚れのようにこびりついているのを感じた。いつのまにこんなに疲れてしまっていたのか。