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「今お風呂に入っているの」

 その瞬間、私は天空から女神が黄金の光につつまれて降臨してくるのを見た気がした。

 そう、彼女にとって俺は特別な男なのだ。夜の太田のピンク色にきらめく怪しげなネオンが私にそれを確信させた。それ以降、私はAの虜になった。Aから電話が来ることだってあった。

「今お風呂に入っているの」

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 彼女は艶やかな声でそうつぶやき、それが嘘でないことを示すように電話口でお湯をぴちゃぴちゃと滴らせた。その瞬間、私の頭では、すべてのムダ毛が処理され、まるで牛乳石鹸のようにすべすべしているにちがいないAの肢体が妄想され、夥しい量のテストステロンが全身を駆けめぐり、下半身がいなないた。今から思えば当然営業電話なわけだが、おめでたいことに当時の私はこれを私的な電話だと思いこみ、またせっせとクラブOに通った。

 会社からクラブOまでは車で30分、店で2時間ほど飲み、車中泊して、朝方、熊谷に帰るということを幾度もくりかえした。本来、新聞記者というのは事件や火事に備えて職場を離れてはならないので、太田に越境すること自体、職務規定違反なのだが、そんな細かいことはどうでもよかった。さらに言えば朝になっても酒は抜けきっていなかったので飲酒検知に引っかかったら警察に逮捕され〈新聞記者、飲酒運転で逮捕〉と報道されて、会社を馘首(くび)になり人生を棒に振るのも確実だったが、その程度のリスクもAの美貌を思えば受け入れざるをえなかった。

 しかし興奮はいつか醒めるものだ。何度も通ううちに、私はAの挙動に不可解なものを感じはじめた。私は彼女にとって特別な男である。そう思わせる言葉や態度、仕種がいくつもあったので、それは疑いのないところだった。それなのにプライベートでは絶対に会ってくれないのだ。何月何日と約束しても絶対にドタキャンされる。