こんちくしょー! またかよっ!
つい数日前、ダラス湾を目指してアドレナリンがどばどば噴出して爽快に歩いていたときと、肉体の状態が一変していることに、われながら驚いた。
橇を立て直して何とか斜面を下りたが、その先も雪は深く、しかも柔軟剤で洗ったバスタオルみたいにふわふわ柔らかかった。おまけに雪の下にはごろごろ転がった直径数十センチの丸い河原石が隠されており、1歩歩くごとに私の重たい橇のランナーは石にひっかかり、スタックして動かなくなった。
こんちくしょー! またかよっ! くそがっ! この野郎ーっ!
私は狂人のように喚きちらした。そしてスキーを脱ぎ、うごあがあああっという大声をあげて全力で橇を持ち上げ動かそうとしたが、その瞬間、雪の下の丸石に毛皮靴の底がつるっと滑って転倒。くそっと言って立ちあがったら、また転んだ。
何だよっ! 馬鹿野郎ー! ふざけんじゃねえよっ! くそったれがぁっ、くぅおらぁっ!
頭のネジがはじけ飛んだ私は怒りにまかせ、特に意味もなくストックを振りまわして、ああああああっと大声で狂乱した。私がストックをぶおんぶおんと振りまわして暴れるたびに、犬はびびって後ずさりした。
そんな狂人のような姿態を演じた挙句、私はふと冷静になり気付くにいたった。
これ以上、先に進むのはやばいんじゃないか。暗いから気付かなかったが、こんな丸石のごろごろした谷など、人間が橇を引いて歩くような場所ではない。これ以上先に行けば肉体的に消耗しすぎて帰れなくなるかもしれない。
そう思うとゾッとした。この暗さは命にかかわる暗さだと思った。
そして、くそっ、月に騙された、と思った。
月明かりがすべてを照らし、まるでこの谷を楽園のごとく美しく見せるから私はそれを信じてこんなところまでやってきた。それなのにここには何もいない。見つかるのは足跡ばかりで、麝香牛だって姿を見せる気配は一向にない。牛どころか兎一匹いないではないか。そうだ。月明かりが照らす世界など所詮はすべてが虚構なのだ。