探検家にとっていまや、世界中どこを探しても“未知の空間”を見つけることは難しい。大学時代から、様々な未知の空間を追い求めて旅をしてきた角幡唯介氏は、冬になると北極に出かけていた。
そこには、極夜という暗闇に閉ざされた未知の空間があるからだ。角幡氏の4年以上にわたる壮大な旅をまとめた『極夜行』(文藝春秋)より一部抜粋して、極夜の旅を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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難所を登り終え、犬とじゃれあう
氷河を登りきったのは12月14日のことだった。村を出発してから9日目、停滞もふくめると、たかだか標高差1000メートルの氷河の登高にまるまる1週間かかったことになる。
この1週間はなかなか濃密な日々で、3回ほど死神の横顔がちらちらと見える場面もあり、これが国内の冬山登山なら〈けっこうすごい山だった〉みたいな記事をブログに書いて、他人に自慢して、みんなに〈いいね〉を押してもらえる程度の内容をほこっていたが、しかし残念ながらこの長い旅ではまだ全行程の1割ほどを消化したにすぎなかった。
ただ苦労はしたが、一応、旅の難所のひとつと恐れていたイキナ氷河を登り終えることができ、私の心はかなり落ち着いていた。出発前はブリザードの襲来を危惧し、実際にはその危惧を上まわる2発のブリザードを喰らったにもかかわらず、一応、怪我もなく無事にこのセクションを終えることができたわけで、それを考えると旅は順調だと言っていい。それにまだ月の丸くて明るい時期はつづいている。月が沈むまであと10日間あり、それまでに氷床とツンドラを越えてアウンナットの無人小屋に着くのが当面の目標だが、まだ十分まにあいそうだ。
翌日、目が覚めると霧で視界が悪かったので休憩を兼ねて停滞することにした。夜、といってもずっと夜なので夜という言葉に意味はないのだが、一応24時間制の午後8時とか9時ぐらいになると天気が回復したため、私は外に出て犬とじゃれあって遊んだ。
2014年冬にはじめてシオラパルクに来たとき、この犬は1歳で、まだ犬橇(いぬぞり)を引いたことがなく、それどころか村から出たことさえなく、人間でいえば小中学生ぐらいの子供だった。それなのになぜ私がこの犬を飼い犬として選んだのかといえば、まず身体が大きく力がありそうだったこと、それに性格にも落ち着きが感じられ扱いやすそうだったこと、そしてまだ子供で橇を引く教育を受けておらず、自分で最初から躾けることで私好みの色の犬に仕立て上げられるのではないかという光源氏みたいな欲望を抱いたことなどが理由としてあった。