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2021/09/30

source : 週刊文春出版部

genre : エンタメ, スポーツ, 読書

セ・パ両リーグの天才打者

 落合とイチローである。どんな打者にも必ずあるはずのデータ上の死角がなかったのだ。

 リーグの異なるイチローは日本シリーズのみの対戦で済んだが、落合は1993年まで中日の四番打者であり、94年からは巨人の主砲であったため、同じリーグのライバルとして何度も顔を合わせなければならなかった。

 野村が説くところの、内角高めから外角低めという対角線の攻めをしても、そこに緩急をつけても、まるで見透かされたように打たれた。

 最終的に川崎と古田敦也のバッテリーがたどり着いたのは、落合の読みを外すことだった。一球ごとに腰の開き具合やステップの幅、そして表情を観察して、そこから落合の心理を探ろうとした。ただ、落合はそれすらも許さなかった。

古田敦也捕手 ©文藝春秋

 狙ったところにきっちりと投げれば投げるほどポーンと打ち返された。抑えることができたのは、スライダーがすっぽ抜けるなど、自分でも予想できないようなボールがいったときだけだった。つまり打ち取ったとしてもそこに根拠を見出すことができなかった。

 あの野村が「多少は(打たれても)仕方ないわ」と諦め顔をしていた。川崎には最後までバッター落合の心が読めなかった。

電話で伝えられた落合の言葉

 そして今、監督になった落合もやはり心にベールを纏っていた。

「どうだ? やれるか?」

 電話口の落合は結論だけを求めていた。

 なぜだ。なぜ俺なんだ……。

 川崎の頭には、まだ疑問がめぐっていた。

 だが次の瞬間、心はまったく別の反応を叫んでいた。

「いけます! ありがとうございます!」

 川崎はほとんど本能的に、そう答えていた。

 落合は無言をもってそれを受け止めると、淡々と開幕までのスケジュールを伝えてきた。

 2月1日の紅白戦に先発し、それ以降は10日おきに登板しながら開幕へ向かうという計画だった。

「もし無理だと思うなら、10日前までに言ってこい」

 電話はそれで切れた。

 ハンドルを握った手が汗ばんでいた。全身にしびれるような感覚があった。

 フロントガラス越しに幹線道路が広がっていた。植え込みのある中央分離帯によって上りと下りがゆったりと分けられ、見慣れた標識と看板が流れていく。いつもの道だった。中日に移籍してからの3年間、鬱々とした気分で通い続けた二軍球場へ続く道である。ただどういうわけか、飽きるほど見てきたはずの景色が、今は初めて見るもののように新鮮に映っていた。

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