『Santa Fe』

 いまから振り返っても、あれは衝撃だった。何しろ、当時18歳のトップアイドルがヌード写真集を出したのだから。その写真集、篠山紀信(当時50歳)が宮沢りえを撮った『Santa Fe』(朝日出版社)が発売されたのは26年前のきょう、1991(平成3)年11月13日のことである。

 宮沢を撮るという話は、その年の4月、篠山が映画の撮影中だった彼女を訪ねた際、何となく持ちかけたものだという。撮影は5月下旬、米ニューメキシコ州のサンタフェで行なわれた。この時点で発表するかどうかは決まっていなかったが、撮り終えたあとで、篠山から「りえさんの美しさは国の宝です。だからこの美しさを国民の一人一人が見ないというのは良くない。だから発表しよう」と提案して、世に出すことになったのだとか(『文藝春秋』1991年12月号)。

『Santa Fe』を並んで買う人々 ©時事通信社

 宮沢からは、写真を1枚ずつ切って額に入れて飾ってもいいような写真集にしたいとの希望があり、篠山としては“芸術写真”というコンセプトで撮影にのぞんだ。ロケ地となったサンタフェは、近代写真の祖といわれるアルフレッド・スティーグリッツをはじめ、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムズ、ポール・ストランドら「f/64」の面々など多くの写真家が名作を残した、いわば写真の聖地である。彼らの作品を手本としてきた篠山は、聖なる肉体を、聖なる気持ちで撮るため、この地を選んだのだ(『週刊文春』1991年11月21日号)。

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 写真集の発売が告知されたのは、1ヵ月前の10月13日付の『読売新聞』の全面広告を通じてだった(翌日には『朝日新聞』にも同じ広告が載る)。そこでは、宮沢が胸をあらわにした写真が使われ、大きなセンセーションを巻き起こす。同月21日、彼女はテレビロケから帰国すると篠山とともに成田で会見し、大勢のレポーター相手に堂々と応じてみせた。そこで「篠山さんは撮影の時、いつもより無口でした」と宮沢から言われ、篠山は初めて自分があがっていたことに気づいたという(『文藝春秋』前掲号)。『Santa Fe』は予約注文だけで30万部に達した。累計155万部という発行部数は、いまも写真集では世界記録とされる。

昨年の「キネマ旬報ベスト・テン」で主演女優賞を受賞 ©松本輝一/文藝春秋