侍ジャパンにひとりも選ばれなかった千葉ロッテマリーンズに、ついに優勝へのマジックが点灯した。実に爽快な気分だ。
小学2年生の時に、近所の空き地で初めて野球を覚えた。その年に、長嶋茂雄さんが引退した。そして、その年のパ・リーグを制し、日本一になったのがロッテだった。1974年。今から47年前のこと。日が暮れるまで下手くそな野球に夢中になっていた。
フィンガー5の歌を口ずさみ、天地真理さんの「真理ちゃんシリーズ」を楽しみにしていた僕は、今は50歳をゆうに過ぎて、千葉ロッテマリーンズの試合を実況するアナウンサーになった。
「ロッテの日本一が決まる瞬間の実況をしてほしい」
ロッテの優勝といえば、アナウンサーとして忘れられない出来事がある。
2005年10月26日。甲子園球場。日本シリーズ第4戦。
ロッテが1点リードして、試合は8回の表が終わった時だった。
「今からセンターカメラの所へ行って、ロッテの日本一が決まる瞬間の実況をしてほしいとのことです。私も同行します」と、ディレクターに突然言われた。
当時、フジテレビのアナウンサーだった僕は、ロッテの日本一が決まった場合のビールかけ取材や、代表インタビュアーとして、甲子園に出張していた。
ロッテ日本一の、その瞬間を、目の前で見ながら実況することができるなんて……。川崎球場時代からのロッテファンだった僕にとっては、願ってもない依頼だった。
「いいですねえ。行きましょう」
ワクワク感を抑え切れない僕は、嬉しそうに返事をした。
ところが、高揚した気分の僕とは対照的に、同行するディレクターの表情は微妙な感じだった。
「まあ、何事もなければいいのですが……」と、心配そうな顔で言う。
その彼の予感は的中することになった。
総立ちで祈るような声援を送り続ける阪神ファンに囲まれて
甲子園のスタンドを埋めつくす4万8000人近い大観衆。そのほとんどが、当然のことながら阪神ファン。しかも、熱狂的なファンが陣取る外野スタンド。
ロッテが3連勝して迎えた第4戦。もうあとがない阪神は追い込まれていた。そして、狂おしいほどに熱い阪神ファンの気持ちも、追い込まれていた。
実況をつける場所にたどり着いて、まず驚かされたのが、レフトスタンドの阪神ファンの大歓声だった。ディレクターとの会話も、かなり顔を近づけて大声で話さないと聞こえない。
実況席にテレビモニターはなかった。センター後方に近い位置から肉眼で見て実況するしかない状況。ここからでは、細かいプレーはよく分からないし、打球の質によっては、うまく表現できない。日本一が決まる瞬間のプレーが、分かりやすい打球であることを願うしかない……。
即席の実況席は、総立ちで祈るような声援を送り続ける阪神ファンに囲まれた中にあった。僕とディレクターの二人だけが、何千人もの観客の中でポツンと座っている。
「ここで実況するんですか?」
「すみません。場所がなくて……」
飲み込まれる、という言葉があるが、まさにその時の僕たちは、阪神ファンの大歓声と熱気に飲み込まれてしまいそうだった。