マリーンズに「荻窪コンビ」が誕生した。今年、1番打者としてチームに貢献している荻野貴司外野手と昨年までカープでプレーした小窪哲也内野手だ。奈良県出身で今年36歳と同じ歳の2人は小学校時代から知る仲。それが今、長い時を経てマリーンズでチームメートになった。
「本人から電話があって聞いた時は、まさかと思いました。この歳になって一緒のチームでプレーできることになるなんて思っていませんでした。ビックリしたけど、本当に楽しみ」と荻野は笑う。
「荻窪コンビ」の出会いからプロ入りまで
出会いは小学生の時。同じ地区の対戦チームとしてであった。荻野にとって小窪はすでに名の知れた有名選手で「奈良のスーパースターだった。そのころからプロに行く選手と思っていた」という。チームメートに共通の友達がいたこともあり、中学生になると、よく遊んだ。
「友達の家の近くの広場でよく新聞紙をまるめてボールにして野球をして遊んだりしましたね。ボールがよく人の家の屋根まで飛んで行ったのを覚えています」と小窪も当時の事を懐かしく振り返った。
ただ、当時の野球における2人の立ち位置はだいぶ違う。小窪は4番キャプテン。一方の荻野は試合にもなかなか出られず、中学校2年生ぐらいから塾に通い、勉強に熱を入れるようになる。荻野いわく「中学の時は、ほとんど試合に出ていない。幽霊部員に近かった」と語る。小窪も当時の印象について「今と違って背が小さかったですね。塾などにいって勉強を頑張っているイメージがあった。足は当時からすごく速かったですよ」と語る。
小窪はPL学園。理科が得意科目だったという荻野は文武両道の公立名門校として知られる郡山高校に進学し、練習試合では何度か対戦をしている。「勉強もしながら野球も続けたかった」と荻野はその後、野球と勉強の両立を掲げながら少しずつ成長を続け、関西学院大学に進学。青山学院大学に進学した小窪と大学4年時の大学ジャパンで初めて同じチームでプレーをすることになる。
この時、2人ともショート。だから一緒にレギュラーとして試合を出ていない。プロから注目を集める小窪がスタメンに名を連ねた。荻野は「ボクは代走とか。守ったのもショートではなくてレフトでしたね」と話す。ただ、この大学ジャパンでの日々が荻野のターニングポイントになったのも事実。小窪など大学球界のスーパースターが集結した大学ジャパンのプレーを身近に感じたことで荻野の闘志に火がついた。
「大学ジャパンに来ていた選手たちは本当に凄かった。レベルの違いを感じたし、知らされた。自分はまだまだと思い、悔しい思いもしたし、もっと頑張ろうと思った」と荻野は当時の心境を口にする。小窪は大学・社会人ドラフト3巡目でカープから指名を受けて大学卒業後、プロ入り。一足早く、プロで結果を出す。荻野は名門トヨタ自動車に入社後、頭角を現し09年ドラフト1位でマリーンズ入りした。