名前が呼ばれるまでの沈鬱な時間
ドラフト会議が始まって2時間も過ぎると、重苦しい空気が室内を支配した。ともにテレビ画面を見守る仲間たちは、会議が始まったばかりの頃は「そろそろ呼ばれるんじゃない?」と楽観的にはしゃいでいたが、下位指名に差し掛かると静かになっていった。
「なんだか悪いな……」
静まり返る室内で、花田侑樹はいたたまれなくなっていた。この日、広島新庄高校の一室で花田は自身のドラフト会議の行方をチームメートと見つめていた。育成ドラフト会議での指名を辞退している花田は、支配下登録となる本会議で指名されなければ大学に進学することが決まっていた。
花田はエースとして甲子園に春夏連続出場し、実績があった。「3~4位で指名されるのでは」と予想するスカウトもいた。だが、6位指名を終えた段階でも、花田の名前は一向に呼ばれなかった。
すでにソフトバンク、ロッテ、ヤクルトの3球団に「選択終了」の表示が灯っていた。花田はそれでも、「なんとか指名してくれ……」とすがるような思いでテレビ画面を見つめていた。
「第7巡選択希望選手、読売。花田、侑樹。広島新庄高校」
その名前が呼ばれた瞬間、広島新庄の野球部員は一斉に立ち上がり、歓喜の声をあげた。花田は周囲の祝福に感謝しつつ、「指名されてよかった」と安堵に包まれた。結果的に巨人が支配下で最後に指名したのは花田であり、全体でも花田の後は4選手しか指名されなかった。まさに薄氷を踏む思いがした。
別室の記者会見場へと移動した花田は、緊張からかやや堅い表情で質問に答えた。
「名前が呼ばれてほっとしました。巨人はすごく強いチームという印象があります。しっかり努力して、結果を残したいです」
ドラフト前には、花田の元に11球団から調査書が届いていた。教え子を高く評価する監督の宇多村聡は「指名される確約はなく、当日になってみないとわからないドラフトの恐ろしさを感じました」と語る。
一方、本人はドラフト前から周囲の高い評価にも「指名されるかはギリギリのラインだろう」と冷静に見ていた。
「センバツが終わった後にケガしましたし、夏の広島大会も全然力を出し切れませんでしたから」
花田の名前が大きくクローズアップされたのは、今春のセンバツだった。冬から春にかけて球速が伸び、甲子園では最速144キロをマーク。球速アップと比例してカットボールもキレが向上し、花田の代名詞とも言える武器になった。
整った投球フォームに、当時身長180センチ、体重70キロのスリムな体型。将来性と総合力を高く評価され、花田はドラフト候補に浮上した。
だが、花田の右ヒジには痛みが走っていた。「大きなケガではない」と本人が語るように、しばらくノースロー調整を続けたところ痛みは引いた。ところが、投げ込みが不足したことで本来の投球感覚が失われていた。
今夏の広島大会準決勝・西条農戦では制球に苦しんだ。4回2/3を投げ、9四死球と乱調。チームは同期左腕・西井拓大の奮闘もあって甲子園切符をつかんだが、投手・花田としてはまったく実力を発揮できなかった。
一方、打者・花田の株はぐんぐん急騰していた。夏の広島大会では6試合で2本塁打、5盗塁をマーク。それでも、花田は投手として強いこだわりがあった。
「自分が0点に抑えれば、チームが負けることはない。抑えられればうれしいし、子どもの頃からピッチャーをやりたい思いは強いです」
監督の宇多村には、こんな記憶が残っている。
「(昨秋の)新チームになってから、花田が『ピッチャーで勝負したい』と言ってきたんです。チームの4番でもあるので、打つほうでも期待していたのですが、彼のピッチャーとしての意志や覚悟を感じましたね」
普段はおとなしく、宇多村に言わせれば「のほほんとマイペース」という花田だが、マウンドに上がれば態度が豹変する。極度の負けず嫌いで、同期の西井や秋山恭平といった好投手にも「負けたくない」とライバル心をむき出しにする。そんな性分が、投手としてどん底にいた花田を救うことになる。