——理解を醸成して初めてタブレットが活きると。
野口 ええ。テクノロジーをただ導入するだけでは解決しません。
——関係者が一致して地道な努力を続けられるかが鍵になりそうです。
野口 ただ、「通常学級を選んだら何の支援も受けないよう覚悟しなさい」などと言って自己責任にする人も未だにいるのが現状です。
——何か改善を要望しても「好き好んで普通学級に来たんだろ」とダンピングの正当化に使われる?
野口 はい。これは先生個人よりも構造に問題があると思います。そもそも障害を理由に普通学級と特別支援学級の選択を迫られること自体、酷でおかしいんです。障害のない子どもはそうした選択をしなくてもいいわけですから。
当然に地域の学校に通い適切な支援を受けられるのが前提であるべきです。その仕組みを国として整備していかねばなりません。
「特別扱いはしない」が正しいわけではない
——インクルーシブ教育を語る上でリソースの話は避けて通れません。
野口 ええ。時に異なる障害種同士によるパイの奪い合いになることがあります。しかしその根本にはそもそもの教育予算全体が少な過ぎるという問題がある。従って、一致団結して全体のパイを増やしていくのが大事だと思います。
——実際の教育現場に着目するといかがですか。
野口 個々の合理的配慮を具現化するにあたっては、本人も含めた関係者間で「今あるリソースの中でどれだけできるか」の合意形成を図らねばなりません。
しかし障害を持つ子どもやその保護者と学校・教育委員会とが対立するケースもあります。
——普通学級への就学を断られたり?
野口 それもあるし、普通学級へ就学した上で、プリントを他の子よりも拡大してルビをつけてほしい、別室で試験を受けたい、タブレットを持ち込みたい等様々です。こうしたことに学校側が初めから「無理です」と対応したことが引き金になったりするんです。
合理的配慮の紛争を調停する独立した公的第三者機関を設け、そこが間に入り一緒に解決していく仕組みだと相当違うでしょう。本人が最大限自分らしく学び過ごすために何ができるか、各々が知恵を出し合えばやれることは沢山あります。
——「皆に合わせろ、特別扱いはしない」と言われて育ったので、教育と合意形成は対極にあると思っていました。
野口 確かに教師という人がいて皆を指導する側面や、皆が同じ時に同じ事をせざるを得ない場面もあるでしょう。
しかし国の方針も教育現場も、主体性を育む方向に進みつつあるのもまた確かです。例えば、先生だけが勝手にルールを決めるのではなく、生徒達自らが話し合って校則を見直す動きも現れています。