ここのところ、世界的な「ゴッホブーム」が続いている。新たな研究、アニメーション映画、評伝や小説、そして数々の展覧会。なぜそんなにも、現代人はゴッホに夢中になるのだろう。
かくいう私も、ゴッホが主人公の小説「たゆたえども沈まず」(幻冬舎)を上梓したばかりなのだが、実は、つい最近、三十七歳で他界したゴッホの最後の二年間の制作の謎に迫った力作「殺されたゴッホ」を書いた作家、マリアンヌ・ジェグレとパリで会うチャンスに恵まれた。生粋のパリジェンヌが、パリになじめなかった異邦人ゴッホをどう捉えたのか、直接作家本人から意図を聞くことができたのは、時を同じくして「ゴッホ」というモティーフに挑んだ者として、まさにゴッホその人に導かれたかのようにすら感じた。
ジェグレが本作を執筆するきっかけとなったのは、二〇一一年にアメリカで出版された「ファン・ゴッホの生涯」(スティーヴン・ネイフ、グレゴリー・ホワイト・スミス共著)という一冊の本だった。長いあいだゴッホは自殺したと言われてきたし、それがまた画家を伝説化するのに一役買ってきたわけだが、詳細な調査のもとにゴッホの知られざる生涯をつまびらかにしたこの本では、「ゴッホの死は他殺によるものだった」と結論している。この本を手にしたジェグレは、ゴッホが画家である以前にひとりの人間であったことに着目し、はかなさと強靱さを兼ね備えたその人間性に迫ることこそが、ゴッホという稀有な才能の秘密を知ることになるのではないかと考えた。そして著したのが本作である。
作中にはゴッホのほかにアルルで共同生活をしたゴーギャン、ゴッホを献身的に支えた弟のテオ、その妻ヨー、画材商タンギー、医師ガシェなど、彼の作品のモデルともなった登場人物が数多く登場する。と同時に、「ひまわり」や「ローヌ川」や「黄色い家」など、字面を見ただけで「あれだ」と思い浮かぶ作品が出てくる。面白いのは、ゴッホの目線で、どのように名画が制作されたのかをじっくりと追いかけているところだ。「やっつけ仕事にしか見えない」ゴッホの絵は、なぜそんなふうに描かれているかというと、たとえば夾竹桃の花を描く場面で、「急がないと花がしぼんでしまう。この花は朝開いて夕方しぼむ」とある。咲き乱れた花をゴッホが素早い筆致で描いている秘密が、このシンプルでありのままの一文に浮かび上がる。生花を生きているままに描こうとしたからこそ、命のみずみずしさがカンヴァスに写し取られているのだ。
町民に嫌われ、子供たちにからかわれ、社会の底辺をさまよいながらも、孤高の魂を胸に宿して描き続けたゴッホ。「弱さではなく、彼の強さを書きたかった」とジェグレは私に教えてくれた。蓋し、同感である。