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「紀子にそっと贈るはなむけの場であった」
川嶋家では家族でキャンプ旅行に良く出かけ、辰彦さんは当時をこう回顧している。
「このようなキャンプ生活の経験は、妻と私はもちろんのこと、紀子と舟の価値観にも、少なからず共通の影響を及ぼしているような気がする。その意味で、連休の山歩きは、独立した人格を持つ4人の家族が、キャンプ生活を通じて一緒に紡いできた、お互いを結ぶ貴重な横糸を確認し合う心地よい場であった。同時に、その確認の心を紀子にそっと贈るはなむけの場であった」(「文藝春秋」1990年8月号、「娘・紀子へそっと贈る〈手記〉格別の思い出」)
秋篠宮は「ヘリコプターの音で全てかき消されて」
秋篠宮は、10月26日の朝、長女・眞子さんを送り出された時の父親としての思いについて、「元気で暮らしてくれればいいなという気持ちでしょうかね。そういうことを最後に言ったつもりなんですけれども、ヘリコプターの音で全てかき消されてですね。向こうも何か言ったのですが、結局、何も聞こえずに終わりました」と述べられた。