3分でわかる「日本とんかつ史」
そもそも江戸時代、日本人には豚肉を食べる習慣がなかったのはご存知だろう。明治の文明開化とともにやってきた西洋人、西洋料理のために食肉が輸入され、コートレットという料理がなまってカツレツになった、というのも有名な話だ。
この時期の創業の店といえば、明治38年(1905年)創業の上野とんかつ御三家の最古参「ぽん多本家」だ。この店はあくまで洋食屋であり、メニューには「とんかつ」ではなく「カツレツ」とあるし、タンシチューやポークソテーなどの料理も提供している。カツレツは真っ白の衣は美しく、肉もジューシーで肉そのものの味が力強く感じられる。店の入口の扉は重厚で、入るのには少し勇気がいるかもしれないが、これも伝統の重みを感じさせるアトラクションのひとつだ。
さて、東京あるいは日本にとっての食文化の転換点として、明治維新と並んで最大級のものが大正12年(1923年)の関東大震災だ。これによって東京の屋台文化は壊滅し、新しい店が増えるに伴って新しい文化もひろまった。第一次とんかつブームが起きたのもこの時だ。
上野とんかつ御三家のうちヒレカツ専門店として知られる「蓬莱屋」は大正3年(1914年)、上野松坂屋の脇で屋台として創業、昭和3年に先述の場所にほど近い現在の場所に店舗を構えることになった。まさに上に記したとおり、屋台で創業、震災後に店舗を構えるという流れの典型だ。
ヒレカツの創始者であるとされるこの店は、ガリッとした少し固めの衣から、ヒレの柔らかさと旨味が感じられるものだ。白木のカウンターで食べるのもよいけれど、二階の昔ながらの座敷も雰囲気がすばらしい。
そして敗戦、高度経済成長がやってくる。第二次とんかつブームが巻き起こったのもここだ。最初に挙げた池袋の「寿々屋」の創業は昭和31年(1956年)、ちょうどこの時期に当たる。とんかつが全国に広まりきったのもまさにこの時期で、大衆文化の中にもとんかつが登場するのをよく見る。
たとえば映画なら、とんかつ好きとして知られた小津安二郎の『お茶漬けの味』(昭和27)や『秋日和』(昭和35)、ほかにも川島雄三『喜劇とんかつ一代』(昭和38)などがある。