とんかつ料理にはさまざまなものがある。カツ丼、カツカレー、カツサンドを筆頭に、味噌カツ、カツ煮やカツスパ、エスカロップやトルコライスも仲間に入るだろう。さてその中でもカツ丼とカツカレーは、とても広く食べられている料理だが、とんかつ屋で食べる他にそれぞれ、そば屋、カレー屋という選択肢を持っている。
とんかつ屋で食べるならとんかつこそがメインになるのだけれど、そば屋、カレー屋のとんかつ料理は、とんかつ屋と違ったアプローチのはず。まずは上野のそば屋「翁庵」にカツ丼のことを伺ってみた。
「うちのカツ丼、けっこう辛いって言うお客さんもいるんだよね」
上野駅の東側、浅草通りに入ってすぐのところに店を構える翁庵は、明治32年創業の老舗だ。昔ながらの佇まいがなんとも趣を感じさせる。
「うちはそば屋だから、銀座の梅林さんとか本格的なとんかつ屋のものに比べるとなんでもないカツ丼なんだけどね」と謙遜しながらお話ししてくださったのは、店主の息子さんである加勢智康さん。
「うちのカツ丼、けっこう辛いって言うお客さんもいるんだよね。うちはそば屋だから、タレをそばつゆに使う出汁と返しで作ってるんですよ。それに玉ねぎも一緒に煮込んでっていう形で。そのタレも、ご飯の一番下までちゃんとしみこむくらい、けっこう多めに使っています。白いご飯だけ残っちゃうと、おかずもないしなかなか食べきれないでしょ。そのタレの多さもあって辛いって言うお客さんもいると思うんだけど、時代に合わせて配分を調整したりはしてますよ。でも基本的にはこれがうちの味です」
食べてみると、なるほどたしかに辛い。辛いけれど嫌な感じは全くしない。タレも多いからご飯もサラサラ食べられて、なんというか、クセになる味だ。江戸前のそばつゆは辛めが基本。カツ丼の元祖はそば屋という説もあり、きっと昔ながらのカツ丼というのはこういう味に近いものなんじゃないか、と想像すると美味しさも膨らむ。
江戸前カツ丼の肉が薄いメリット
「たぶんうちではカツ丼は、戦後に作り始めたんじゃないかなぁ。昔うちに入れてた肉屋さんが、肉をすごい叩いてくれてたんだよ。おっきく薄くしてくれてね。今は厚切りのとんかつが多いけど、おっきい方が見栄えもいいじゃない。それにロースは火を入れるとすぐ固くなっちゃうから、薄いことにもメリットはあったんだよ。ただ肉屋さんを別のところに替えたときに薄く叩くものじゃなくしちゃったから、昔からの常連さんが懐かしがることはあるね」
やはりそば屋は出汁と返し、それにあくまでそば屋であるからこそ、とんかつ職人でなくとも間違いなく作れることが重要なのだろう。その意味でカツ丼に最適化されたとんかつではなく、「そば屋」のカツ丼に最適化された到達点が、翁庵のカツ丼なのかもしれない。