「神奈川県の高校野球がね、僕を育ててくれました。だから恩返しじゃないけど、何か残せればいいなって僕は思っているんですよ」
今季から横浜DeNAベイスターズでプレーする大田泰示は、高校時代を思い浮かべ、そう語った。
野球王国、神奈川県――。
今年も夏の甲子園を目指し、高校球児たちの熱い戦いが始まった。
激戦地。この地で頂点に立つことは、全国大会で優勝することよりも困難だ、としばしば言われることがある。百花繚乱、あまたの強豪校が鎬を削り、霞のかかる高い山のようなトーナメントを戦っている。
東京都出身の松坂大輔や和歌山県出身の筒香嘉智が横浜高校へ、静岡県出身の森敬斗が桐蔭学園高校へ進んだように、越境してこのハードワークが必要な地に飛び込んでくる選手は少なくはない。
大田にとってハマスタは「本当に特別な場所」
遡ること16年前、大田も夢と希望を胸に抱き、故郷を離れ神奈川県に訪れたひとりだった。
「僕のことを神奈川県出身だと思っている人は今も多いと思いますよ。皆さんのなかではそうなっちゃっているんでしょうね」
どこか楽しそうな表情で大田はそう言うと笑った。
広島県福山市出身。中学生時代、当時評論家をしていた現巨人監督の原辰徳の野球教室に参加し、スイングを褒められたことから原の母校である名門・東海大相模高校に進学を決めている。
高校時代の大田は、まさに神奈川県を代表するスラッガーだった。1年生のときから強豪の4番打者を任され、通算65本塁打を誇った強打と最速147キロの地肩の強さにより、大型内野手として全国から注目を浴びた。
そして神奈川県といえば聖地・横浜スタジアム。DeNA入団に際しハマスタのことを尋ねると、その瞬間、大田の眼の色が変わった。
「いやもう一番興奮する球場ですよね。高校時代にプレーしていた場所ですし、ここで甲子園へ向けた予選の開幕式や決勝戦が行われるわけですから、僕にとっては本当に特別な場所ですよ」
10代の熱かった日々が脳裏によみがえる。
「高校時代は何本もここでホームランを打っているし、とにかくいろんな記憶が残っている場所なんですよ」
華やかな活躍があった一方、大田にとってハマスタは忘れることのできない苦い記憶が刻まれている球場でもある。
夏の甲子園予選、大田は3年連続して決勝戦へ進みハマスタで戦っているが、いずれの試合も負け、甲子園出場を逃している。
「とくに3年生の決勝なんかは、すごく記憶に残っていますよね……」
ラストチャンスの夏、2008年の北神奈川大会決勝で、東海大相模は慶應義塾と対戦をした。大田は3番・ショートで出場。4回裏に清原和博を越える高校通算65号をハマスタのレフトスタンドへ吸い込まれる先制弾を放つが、試合は拮抗し6対6で延長戦へ突入した。そして延長13回表、二死二塁のピンチの場面でマウンドに上がったのが大田だった。懸命に腕を振ったが最初の打者にセンター越えの三塁打を浴びると、さらにつづく打者に2ランホームランを打たれ、神奈川県の誇った傑物の夏はエンディングを迎えた……。試合後、ハマスタの黄昏に号泣する大田の姿があった。
「僕は何度もハマスタで胴上げを目の前で見てきたんですよね……」
そう言い終えると、大田の語気にぐっと力が入った。
「だから思ったんですよ。どうにかしてここハマスタで三浦大輔監督を胴上げしたいって。入団が決まったとき、その輪の中にいる自分の姿を思い浮かべてしまったんです……」
ハマスタの空の下で大田は、果たせなかった夢を追いかけている。忘れ物をしてしまった、かつての自分と向き合いながら。